2011年2月13日日曜日

連載「脳力のレッスン」世界 2011年1月号

オバマ政権の苦闘—二〇一〇米中間選挙の意味

熱狂的な歓呼の中でスタートしたオバマ政権も一年八ヵ月が経過し、中間選挙という洗礼を迎えた。結果はオバマ大統領にとってあまりにも厳しいものと なった。上院では与党の民主党が議席は減らしたものの五三議席を確保して定数一〇〇の過半数を維持したが、下院では定数四三五の過半数(二三八議席)割れ の一九二議席となった(一一月二五日現在、未定一議席)。オバマ政権は共和党優位の下院と向き合いながら後半戦に入った。

中間選挙を挟む一週間、米国の東海岸を訪れた。一九九七年に、一〇年間の米国勤務を終えて帰国して以来、定点観測のごとく年に三~四回は米 国を訪れてきた。あの二年前の大統領選挙におけるオバマ当選の熱気、そして就任式のワシントンに溢れていたオバマへの米国再生の期待を思い起こしながら、 複雑な思いで多くの知人と面談してきた。オバマ政権への過剰な期待の反動としての失望というべき空気が満ちていた。

公約実現に挑戦したが故の反発

発足以来のオバマ政権は国民の評価に値しない無能力な政権だったのであろうか。決してそんなことではない。オバマ自身が「公約の七割は実現しつつあ る」と発言しているが、政治家としての虚勢ではなく、客観的に見ても、オバマは自らの公約に挑戦し、時代を動かそうとしてきたといってもよい。同じ政権交 代でも、日本の政権交代後の民主党の無残なまでの「公約からの後退」とは比較にならないほど「米国を変える」という試みに真剣だったといえる。

まず、金融改革である。オバマ政権はリーマンショックを背景として成立した政権であり、金融危機に立ち向かうことを余儀なくされた。サブプ ライム問題、リーマンショックをもたらした「強欲な金融資本主義の歪みを正す」ことを使命としたともいえるのである。一九三〇年代以来ともいえる金融改革 規制法の骨格は、「金融安定化監督評議会、通貨監督庁(OCC)を設置するなど金融機関への政府監督権限の拡大」「リスクの大きなデリバティブ(金融派生 型商品)取引の透明化と制限」「証券化商品に対する投資家保護のための銀行規制」などで、より厳しい規制を主張する人達からは「ザル法」「妥協の産物」と いわれながらも、行き過ぎたマネーゲームに縛りをかけるものであった。

この種の話はメディアによって誇張されることが多いが、「議員一人に一〇〇万ドルの金と四人のロビストを投入した」といわれるほど、本気に なってウォール街は金融改革規制法を潰しにかかった。それでもオバマは屈することなく法案成立に持ち込んだのである。だが、あざとい金融商品の創造と膨大 な成果報酬を得ることが常態となっているウォール街では、「水清ければ魚棲まず」という面があり、オバマへの拒否反応は強く深い。かつてはオバマに一定の 評価を与えていたウォール街の民主党支持者でさえ、自分の懐に手を入れてきたオバマへの、憎悪にも近い感情をむき出しにするのには驚かされた。

次に、医療保険制度改革である。「一五〇〇万人もの人が健康保険にさえ入れない」とされてきた米国で国民皆保険の制度導入は不可能といわれ た。日本人の感覚からすれば「大きな前進」と思える改革にオバマは踏み込んだのである。このことが、競争主義・市場主義を信奉し、貧困や格差も「自己責 任」とする傾向を根強く潜在させる米国民の反発を顕在化させた。「何故、貧しいやつの医療費を我々が負担せねばならないのだ」という拒絶反応である。

この拒絶反応を象徴するのが「茶会党(ティーパーティー)」という草の根運動の盛り上がりといえる。独立戦争の引き金ともなった一七七三年 の「ボストン茶会事件」が運動の名前の由来である。宗主国だったイギリスが米国に輸入される茶に関税を課したことに反発し、独立急進派がボストン港内に停 泊中の船から茶箱を投げ入れた事件とされるが、調べてみると、「愛国的行動」というよりも、英国東インド会社が茶販売を独占しようとする動きにオランダの 密輸茶商人と茶卸商人が急進派をけしかけた事件だったことが分る。ともあれ、現代の茶会党の主張の基底にあるのは、「徴税拒否」のみならず「連邦政府の存 在」さえ否定する極端なまでの「小さな政府」志向なのである。

茶会運動の象徴的存在であるサラ・ペイリン(前アラスカ州知事)やデラウエア州の共和党上院議員候補(落選)となったクリスティン・オドネ ル候補の発言における「屈託のない無知」や「単純化された進歩主義への攻撃」には驚かされるが、「米国ではよく見かける悪意の無いおばさん」という存在で もある。建国以前のアメリカ以来、この国に内在する本能のような性格が見て取れるのである。

また、オバマが経済再生の柱として主導した「グリーンニューディール(化石燃料に過度に依存したエネルギー体系の再生可能エネルギーへの転 換)」も、まだ成果が現れていないこともあるが、財政支出による産業政策そのものが「税負担の増大への拒否」を誘発する構図になっているといえる。

「雇用を増やさぬ景気回復」への苛立ち

米国のマクロ経済指標は決して悪くない。前年九月のリーマンショックを受けて二〇〇九年にマイナス二・四%に落ち込んだ実質GDP成長率は本年の IMF見通しとしてはプラス三・三%へと回復している。株価もダウ工業株三〇種で一・二万ドル台とリーマンショック前の水準に戻った。ナスダックも二六〇 〇ポイント水準となり、二〇〇八年の一五七七ポイントを大きく上回っている。企業収益も「順調」と言って良いほど回復基調にある。二〇一〇年上半期の米国 企業の税引後の企業収益は一・一九兆ドル(年ベース)とピークだった二〇〇六年の一・一四兆ドルを上回るレベルとなっている。

では何が問題であり、米国民は苛立っているのか。「雇用」である。「ジョッブレスリカバリー」、つまり景気回復が雇用の増加に結びつかない ことへの怒りなのである。米国の失業率(九月)は九・六%と二〇〇七年の四・六%に比べ倍以上の高さに張り付いたまま下がらない。もっと踏み込むならば、 エコノミストの中には「CHEAP・JOBを除けば、失業率の実体は二〇%を超える」という人もいる。最低賃金ぎりぎりの付加価値の低い仕事はあるが、働 くことの充足感を得られるような仕事は少ないという意味である。

どうして雇用が回復しないのか。「米国経済の空洞化」というべきか、マクロの経済指標が好転し、企業収益が改善されても、米国内に新規の雇 用を生み出さない構造が横たわっているのである。米系の多国籍企業は、新興国をはじめ海外に生産立地や投資を展開することによって利益をあげている。

米国製造業の海外生産比率をみると、全企業ベース(○八年)で二六%、海外進出企業ベースでは四〇%となり、本社は米国にあっても海外で生 産している比重は確実に高まっている。ちなみに、日本の製造業の海外生産比率は、全企業ベース(○八年)で一七%、海外進出企業ベースで三〇%であり、次 第に米国の状況は他人事ではなくなってきている。企業活動のグローバル化によって、企業の利益と国内雇用の乖離が生じているのである。

オバマ政権は「輸出の促進」による雇用の創出に力を入れているが、いかなる産業分野において輸出拡大と雇用創出が期待できるといえるのであ ろうか。例えば、米国の輸出を支える基幹産業といえば農業であるが、農産品輸出が増大しても、大規模農業の米国において多くの新規雇用が生まれるというも のではない。また、ボーイングの航空機やIT関連の先端分野にしても労働集約型ではなく、グリーンニューディールでの太陽・風力・バイオマスにしても競争 力を持った海外からの輸入を増加させるだけで国内雇用創出力は限定的である。結局、流通の小売やサービス分野での雇用に依存せざるを得ないわけであるが、 「借金してでも消費する」とされた消費者心理が凍りつき、消費が動かなくなり始めている。一〇年一〇月現在、小売業の販売額も消費者信用残高もリーマン ショック以前の水準には戻っていない。

もちろん、今回の中間選挙の結果をもたらしたものは「経済」だけではない。イラク戦争に反対したオバマを大統領にしてまでパラダイムの転換 を図った外交政策においても、「主力部隊を撤退させても安定には程遠いイラク情勢」「泥沼化するアフガニスタン」「イスラム原理主義とイランの台頭」「制 御不能のイスラエルとパレスチナ問題の複雑化」と中東における米国の制御能力の低下は否定しがたい。また、オバマが勇気と誠意をもって「核なき世界」を リードしようとしてNPTに踏み込んでも、米国民は「米国の威信は揺らぎつつある」という苛立ちを拭えないのである。ただ、今回の中間選挙に限れば、米国 民の判断の最大の論点が「経済」にあったことは間違いない。

米国という国の経済構造の再考

改めて米国という国の経済構造を直視するならば、経常収支の赤字、つまり産業活動の海外との帳尻において膨大な赤字を抱えながら、資本収支の黒字、 すなわちウォール街を窓口に世界の資金を吸収する金融活動の黒字によって、なんとか経済を成り立たせてきたことが分かる。別表の資料を見てもらいたい。〇 七年まで経常収支の赤字を補って余りある資本収支の黒字にささえられて流入過剰の状態だったが、二〇〇八年を境に流入過少となった。つまり、このことが進 行中の「ドル安」の基本要因であり、これまで産業の実力以上の過剰消費と過剰軍事力を可能にしてきた米国の経済構造が崩れ落ちているのだ。世界中の過剰流 動性(資金)を米国にひきつける要素が失われたからである。一つは「相対的な金利の高さ」である。FFレートは〇七年の五・〇二%から、リーマンショック 後の超低金利政策によって一〇年九月現在〇・一九%という水準にあり、米国の金利の優位性はなくなった。二つは、「サブプライムローン」という金融派生型 商品の破綻によって、NY金融市場への信頼性が揺らぎ、かつてほど資金が米国に還流しなくなったということである。

中間選挙に先立つ一〇月二二日に韓国で行われたG20財務相・中央銀行総裁会議でガイトナー財務長官は「二〇一五年までに経常収支の赤字も しくは黒字をGDP比で四%以内に抑える」という数値目標設定を韓国と共同提案した。経常黒字大国のドイツと中国の反対で合意形成はできなかったが、米国 が経常収支の世界的再均衡(REBALANCE)を主張したことは注目される。米国としては、財政赤字を抑えて貯蓄率を高めることに努力することで極端な 自国の経常赤字を回避することを担保に、中国の人民元の切り上げを誘導しようという意図を示したといえる。

オバマ政権の後半戦は、共和党主導の議会の逆風の中を進まざるをえないであろう。ただ彼が背負わねばならない本質的課題は、米国の資本主義 の骨の髄まで沁みこんだ「マネーゲームに傾斜した経済の構造的歪み」の是正である。重い構造問題を抱えながら、性急な国民世論に向き合わねばならぬオバマ の苦悩は深い。


参考:米国の経常収支と資本収支

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