2011年2月13日日曜日

連載「脳力のレッスン」世界 2010年5月号

アジアのダイナミズムと内向する日本 寺島実郎

旧正月シーズンを台湾・香港と動いてきた。いかに多くの中華系の人々が、「旧正月」という文化を共有し、里帰りや休暇のために「移動」しているのか を目撃し、圧倒される思いだった。成田空港でも、中国本土のみならず台湾、香港、シンガポールから、驚くほどの数の中華系の来訪者で溢れていた。

二〇〇八年の中国からの海外渡航者は四五八四万人であったが、二〇〇九年には四七六六万人と新型インフルエンザと同時不況の影響で先進諸国 の海外渡航者が軒並み減少する中でも前年比四%増となった。約半分は香港・マカオへの渡航者だといわれているが、それにしても同年の日本の海外出国者が一 五四五万人だったことと比べても、極端な数の中国人が世界を動き回る時代になったのである。

中国の海外渡航者は十年以内に一億人に迫るとの推計もある。日本は「観光立国」を目指し、観光庁さえ設立して観光客誘致に力を入れ始めてい る。「中国人海外渡航者の一割を日本へ」というのが日本の狙いだが、一割でも約一〇〇〇万人の中国人が日本を訪れることを意味する。昨年二〇〇九年の中国 からの訪日者は一〇一万人であったから、一〇倍になるということである。途方もない時代が迫っている。

台湾での講演に際し、ジャーナリストから質問を受けた。「日本人に一〇〇〇万人を超える中国人を迎え入れる覚悟はあるのか」という質問であった。ホテルなどの設備・施設だけでなく、社会総体の受け入れシステム、文化や社会的軋轢の問題にまで視界に入れねばならない。

日本人出国者——壮年の男が海外に出ない国

二〇〇九年の日本人出国者は前述のごとく一五四五万人で、前年の一五九九万人から五四万人(三・四%)減少した。ピークだった二〇〇〇年の一七八二 万人からは二三七万人(一三・三%)も減ったことになり、「内向する日本」を象徴する数字といえる。「国際化」「グローバル化」と言葉は行き交うが、実際 に日本に漂う空気は「国際化疲れ」「グローバル化疲れ」とでもいうべき状況である。ストレスのある異文化環境で動くよりも、国内の温泉にでも浸かっていた ほうが快適という心理に、日本人が沈みこんでいるともいえる。

日本人出国者を分析してみて、興味深い事実に気付く。十五歳から三四歳までを「若者」として、この年齢層の海外出国者は、出国者総計の三 〇%を占める。ただし、その三〇%のうち男性は一二%で、女性は一八%、圧倒的に女性が海外に出ているのである。また、六〇歳以上を「老人」とすると、こ の年齢層の出国者は出国者総数の二〇%を占める。つまり、この国から海外に出る人は老人と若者、とりわけ若い女性の比重が大きいということである。

三五歳から五九歳までの壮年期の男性が海外出国者に占める比重は二七%で、この層が前年比一六%も極端に減少していることからみて、ビジネ スで海外に出る機会はあるものの、忙しすぎるのか経済的に余裕が無いのか、自分の目的意識と関心で海外に出る機会は少ないという状況が垣間見える。

たとえ「物見遊山」の気軽な観光であれ、自分の足と眼で世界を体験することは意味がある。その点で、定年退職後の世代と若い女性が積極的に 世界に動き、働き盛りの世代の男性が、仕事か近隣諸国への遊興以外には海外に出ないという現実は重い。日本経済が一段とアジアとの相関において成立する方 向に向かっている中で、日本が置かれた状況を認識する上で、この世代の世界認識の狭さが問題なのである。

日本人の渡航先の変化も考えさせられる。二〇〇六年、米国を訪れた人よりも中国を訪れた人が上回ったが、この傾向は一段と顕著になり、二〇 〇八年には中国への渡航者は三四五万人、米国への渡航者は三二五万人となった。しかも、米国への渡航者のうち六四%にあたる二二二万人はハワイ・グアムな どへの訪問者であり、米本土への渡航者は一二三万人にすぎないのである。二〇〇九年の日本人出国者は前記のごとく一五四五万人であったが、渡航先の内訳は 部分的にしか発表されていない。中国への渡航者は三三二万人だが、香港(一二〇万人)、台湾(一〇〇万人)、シンガポール(四九万人)を加えた大中華圏へ の渡航者は六〇一万人、韓国への渡航者は三〇五万人で、大中華圏と韓国への渡航者の総計が九〇六万人と米国への渡航者の三倍を超える時代になったのであ る。日本人がアジアに体験を広げ、視界を開くことは、これからの日本人の世界観にジワリと影響を与えていくであろう。

訪日外国人——アジアからの来訪者のダイナミズム

二〇〇七年、戦後初めて、中国からの来訪者(九四万人)が米国からの来訪者(八二万人)を上回った。中国からの来日には、次第に緩和されてきたが依 然として「ビザ規制」があるにもかかわらず、来訪者数は増大基調を辿っており、二〇〇九年には、全体の訪日外客数が一八・七%減という中で、前年比微増の 一〇一万人となった。

二〇〇九年の訪日外国人六七九万人の中で、中国本土からの一〇一万人に台湾からの一〇二万人、香港からの四五万人、シンガポールからの一五 万人を加えて、大中華圏からの来訪者総計が二六三万人と三九%を占める。これに韓国からの一五九万人を加えると、訪日外国人の六二%にあたる。韓国からの 来訪者は、通貨のウォン安を背景に、前年比三三%減となったが、韓国経済のV字型回復を背景に一一月からは急回復している。銀座を歩いても、地方の温泉に 行っても、やたらに中国人と韓国人が増えたという印象を抱くのも当然なのである。ちなみに、米国からの来訪者は七〇万人と前年比一〇%減となった。急速な ドルの減価の中で、米国人にとって日本訪問の壁は一段と高くなっているのである。

「観光立国」といっても、実体は大中華圏と韓国からの来訪者を主とする観光ということになる。温泉やスキー、秋葉原・銀座での買い物も何度となく訪れてく れるリピーターとしていくには魅力に欠ける。県、地方ごとの観光誘致には熱心だが、広域ブロックで連携して外国人観光客を受け入れる体制は十分ではない。 訪問する側の目線に立った「観光立国」になっていないのである。定番の観光地であてがわれた食事を食べる団体旅行ではなく、長期滞在して日本人の生活に溶 け込み、文化を味わっていく観光へと進化させなければならない。日本人の観光への考え方を変えざるをえない局面が迫っている。

相互補完性の中の日本

今、日本はアジアのダイナミズムに突き上げられ、かつ支えられつつある。この微妙な力学を冷静に認識すべきである。人の移動は好奇心を誘発し、発見 を通じた向上心をもたらす。近隣アジアの人々の表情を直視するとき、その熱気にたじろぐとともに、日本人が忘れかけていたものを想起させられる。

このところ、日本での議論には「中国・韓国の攻勢に追い上げられ、劣勢に立つ日本」という認識が広がりつつある。「ついに、GDPで日本が 中国に抜かれる日」「リーマンショックからV字型回復を遂げ、世界市場で躍進する韓国企業」などという報道が続き、当惑と危機感が飛び交う。しかし、冷静 にいえばアジアのネットワーク型発展の中で、日本も大きなメリットを受け、近隣諸国との相互関係の中で我々自身の生業が成立しているともいえるのである。

例えば、昨年の日本の貿易収支を見てみよう。全体で二・八兆円輸出超過となったが、韓国への輸出超過は二・四兆円、台湾には一・七兆円、香 港には二・九兆円となっており、とくに、韓国・台湾は日本製の部品(中間財)を輸入し、それを最終製品に組み入れて外貨を稼ぐ経済構造になっている。 日本こそアジアの「ネットワーク型発展」の受益者でもあり、それを促している推進基点でもあるのだ。昨年の日本の米国への輸出超過は三・二兆円と前年比で 半減、大中華圏(中国、香港、台湾、シンガポール)と韓国を合計した輸出超過の七・一兆円が日本の外貨獲得の支柱である。相互補完性を認識し、この構造の 中での日本産業の次なる展開を構想することが肝要なのである。屈折した被害者意識に埋没せず、日本は一歩前に出て、日本の技術優位性、ファイナンス力を生 かし、官民協力した戦略スキームを構築し、環境・インフラ・交通システムなどのプロジェクトを「システム輸出」として推進する総合エンジニアリングがこれ からの課題である。

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