2011年2月13日日曜日

連載「脳力のレッスン」世界 2010年2月号 特別篇

常識に還る意思と構想—日米同盟の再構築に向けて   寺島実郎

中国の作家魯迅は、二〇世紀初頭の中国について、植民地状況に慣れきった中国人の顔が「奴顔」になっていると嘆いた。「奴顔」とは虐げられることに 慣れて強いものに媚びて生きようとする人間の表情のことである。自分の置かれた状況を自分の頭で考える気力を失い、運命を自分で決めることをしない虚ろな 表情、それが奴顔である。

普天間問題を巡る二〇〇九年秋からの報道に関し、実感したのはメディアを含む日本のインテリの表情に根強く存在する「奴顔」であった。日米の軍事同盟を変更のできない与件として固定化し、それに変更を加える議論に極端な拒否反応を示す人たちの知的怠惰には驚くしかない。

常識に還るということ、日本人に求められるのは国際社会での常識に還って「独立国に外国の軍隊が長期間にわたり駐留し続けることは不自然な ことだ」という認識を取り戻すことである。詭弁や利害のための主張を超えて、この問題に向き合う強い意思を持たぬ国は、自立した国とはいえない。直視すべ き事実をもう一度明記しておく。

(1)戦後六五年目を迎え、冷戦の終焉から二〇年が経過しようとしている日本に、約四万人の米軍兵力(他に軍属、家族が約五万人)と約一〇一〇平方km(東京二三区の一・六倍)の米軍基地が存在していること

(2)米国が世界に展開している「大規模海外基地」上位五つのうち四つが日本にあること(横須賀、嘉手納、三沢、横田)

(3) 「全土基地方式」が採用され、日米政府代表による日米合同委員会がどこを基地として提供するかを決めることができる(地位協定二条)ため、国会承認なしで 全国どこにでも基地が提供でき、東京首都圏に横田、横須賀、座間、厚木など世界に例がないほどの米軍基地が存在すること

(4)米軍駐留経費の七割を受け入れ国たる日本側が負担するという、世界に例のない状態が続いていること

(5)在日米軍の地位協定上のステータスは、占領軍の基地時代の「行政協定」を引きずり、日本側の主権が希薄であるのみならず、地位協定にも規定のない日本側コスト負担が拡大してきたこと

二〇〇九年一二月初旬の訪米での再発見

一二月の第一週、ニューヨーク、ワシントンと訪問してきた。一〇年以上もの米国勤務を終えて帰国した一九九七年以来、年四回は続けてきた定点観測で ある。今回は、オバマ政権がスタートして九カ月、「グリーン・ニューディール」といわれる環境エネルギー分野での日米産業協力、さらには私が総務省のタス クフォースの座長を務める「次世代ICT(情報通信)」分野での専門家との意見交換を狙いとするもので、日米安保に関する議論を主眼とするものでははな かった。

にもかかわらず、鳩山首相が小生の長年の友人で、時に意見交換の機会もあるというだけで、「切迫する普天間問題」に関する「首相の 密使」であり、普天間問題を巡る根回しでもするために訪れたかのごとく、日経新聞、読売新聞で繰り返し報道された。外交で避けるべきは「二元外交」であ り、正式な外交ラインによる交渉が動いている局面において、異なる次元での交渉など事態を混乱させるだけで、私はそのような動きに参与するほど愚か者では ない。今回はむしろ微妙なタイミングでもあることを配慮して、国務省、国防省、大統領府などの日米関係の責任ラインに会うことは避け、ワシントンにおける 国際問題に関わるシンクタンク、世界銀行、米州開発銀行、エネルギー・環境問題に関する専門家、ジャーナリストなどとの面談に絞り、深い議論を積み上げて きた。

この間まで、「インド洋への給油活動こそ日米同盟の証であり、これがなくなれば日米同盟は破綻する」と言っていた人たちは、今度は 「普天間問題での日米合意をそのまま実行しなければ、日米同盟は亀裂する」と主張し始めた。また、在ワシントンの日本のメディアにも「良好な日米関係破綻 の危機迫る」との発信しかできない特派員が少なくない。

これらの人たちが描く「良好な日米関係」とは何か。

あえていえば、 「ブッシュ・小泉時代の日米関係」、米国の期待を素早く受け入れて「ショウ・ザ・フラッグ」に呼応してインド洋、そしてイラクに自衛隊を派遣するような関 係を望ましいものと考えているようである。つまり、今までの日米間の安全保障の関係を「不変のSTATUSQUO(現状)」とし、一切の変更は望ましくな いと思考する人たちの過剰反応が、私の訪米についての報道でもあった。

しかし、我々は「イラクの失敗」を目撃した。米国は五三〇〇人を超す 兵士をアフガニスタンとイラクで死なせ、一兆ドルを超す戦費を費やした。主導したブッシュ大統領自身が「イラク戦争は間違った情報に基づく戦争だった」と 総括して辞め、その戦争で死亡したイラク人は少なくとも一〇万人と推計されている。米国自身が、その反省に立って「イラク戦争に反対したオバマ」を大統領 にしてパラダイムの転換を図ろうとしているのである。日本人の中には、そんな戦争に加担して道を間違えたという省察は不思議なほど見られない。だが、この ことへの誠実な総括なしには、これからの日米同盟の在り方を構想することはできない。何故なら、九・一一後の「米軍再編」に至るプロセスをしっかりと再認 識することが、次なる日米同盟の在り方の基盤だからである。

それにしても、日米安保にまつわりつく人たちの腐臭はすさまじい。私はワシント ンの中で通常「知日派・親日派」といわれ、「日米安保で飯を食べている人たち」から距離をとる必要を痛感する。これらの人たちは、日本からの来訪者を笑顔 で迎え、しばしば日本でのシンポジウムにも参加して「日米同盟は永遠の基軸」というエールを交換していく。常に基地を受け入れる日本側の「責任」に言及 し、より大きな「国際貢献」という名の対米協力を求める。もちろん、これらの人に呼応する日本側の「知米派・親米派」という一群の人たちがいて、この相互 依存が、長い間の日米関係を規定してきた。そのもたれあいの行き着いた悲劇が「守屋防衛次官の逮捕」という事件であったことは記憶に新しい。

ここ何年かの訪米で、私は広い世界認識を持った人物を訪ね、より多面的な視界からの日米関係の在り方を話題にし、意見を聞くことを心がけている。それは、利害や思い込みを超えて、広い視座から現在の日米同盟がどう見えるのかについて、客観的な意見が聞きたいからであある。

そ して、驚くべきことに、ワシントンにおける最高レベルの知識人や国際問題の専門家でさえ、日米関係に関与していない人たちの多くは日米同盟の現実(米軍基 地の現状や地位協定の内容)を知らない。むしろ、こんな現実が続いていることに、「米国の国益は別にして」と付け加えながらも、怪訝な表情と率直な疑問が 返ってくるのである。

もうひとつ、一〇月の北京大学での講演を機に中国を訪れた時の、屈折した体験に言及しておきたい。中国の幾人かの外交 官、国際問題の専門家と日米安保に関する議論をしていて、率直な疑念として提起されたのが所謂「ビンのふた」論であった。つまり、日本が自立志向を高め、 日本から米軍が撤退すれば「日本軍国主義の復活を閉じ込めるビンのふた」がなくなり、近隣諸国は不安になるという論理である。実は、日米安保が現状のまま 固定していて欲しいと願うのは、日米双方に存在する「日米安保で飯を食う人々」だけでなく、中国こそ在日米軍の存在に期待しているという皮肉な構図に気付 かされるのである。

日米安保の屈折した様相に苦笑せざるをえないが、日本人として心に期すべきは、日本の平和と安全は日本人自身の意思で確保すべきものであり、平和主義に徹して近隣の脅威にならない自制も我々の責任だということである。

日米安保の本質と冷戦後の変質

言うまでもなく「日米安保体制」とは、東西冷戦を背景に構築されたものであった。そのことはこの体制構築の日本側からの推進者として一九五一年のサ ンフランシスコに向かった吉田茂自身が明快に語っている。その著『回想十年』(東京白川書院、一九八三年)の一九章「日米共同防衛体制の由来」において、 日米安保条約が米国側から押し付けられたものでも日本側から頼んだものでもなく、ダレス国務長官との間において「日本防衛、自由世界の防衛という点で、い わば客観情勢の認識、見透しを同じくし、講和に伴う占領軍の撤退後における日本防衛の空白を埋めるのには、あれ以上の良策がないという結論に達した」と説 明した後、吉田は次のように書く。「安全保障条約は、条約自身が明らかに想定しているとおり、飽くまで暫定的な措置である。すなわち日本の自衛力が十分強 化されたとか、国際情勢が著しく緩和されたとかによって、この条約の必要が消滅すれば、いつでも終了させ得るのである。」

日米安保条約とは 冷戦を背景に、暫定的なものとしてスタートした。その後一九八〇年代末まで、東側との冷戦期の安全保障の仕組みとして「日米安保」が有効に機能したことは 評価すべきである。しかし、吉田の後進たちは四〇年間の惰性のなかで、政治家も外交官も、あまりにも冷戦期の枠組みに縛られ、世界情勢の変化を機動的に捉 えてその枠組みを超える柔らかい政策を思考する姿勢を見失い、今日に至った。

吉田茂はサンフランシスコ講和会議と日米安保条約の調印に臨み、周りにいた若い外交官に対し、「自分は西側陣営の一翼を占める形で、戦後復興と安全を図るのが妥当と判断して調印に向かうが、君たちは日本外交の選択肢を柔らかく研究するように」と話したという。

冷 戦の時代を経て、一九八九年にベルリンの壁が崩れ、世界は冷戦後の時代へと入って行った。冷戦を前提とする「日米安保体制」も、世界情勢変化を背景として 根本的に見直されるべきであった。ところが、日本側の事情は違っていた。東西冷戦の代理戦争的状況でもあった自民党対社会党の「五五体制」が存在意義を失 い、一九九〇年代の政治状況は流動化し始めた。一九九三年に宮沢内閣を最後として自民党単独政権は終わりを告げ、細川政権から森政権まで短命政権の隆替が 続く。自民党と社会党の連立という村山政権の誕生さえ経験した。腰の入った外交基盤の転換などできなかった。

冷戦後の一〇年間に、同じ敗戦 国のドイツが一九九三年に「在独米軍基地の見直しによる縮小(在独米軍を二六万人から四万人に削減)、地位協定改定」に踏み込んだごとく、日本も日米安保 体制を見直すべきであった。ところが、「アジアでは冷戦は終わっていない」という認識で、日米安保を自動延長する流れが継続され、せいぜい九六年の橋本・ クリントン共同宣言(日米安保の再定義)を経た九七年の「ガイドラインの見直し」がなされた程度であった。

しかも、「ガイドラインの見直 し」は実は大きな危険を招きかねない日米合意に踏み込んだ。日米安保が対象とする「有事」(周辺事態)を、従来の極東地域に限定する「極東条項」を取り払 い、「平和と安全を脅かす事態の性格」によって決める方向に変更したのだ。つまり、世界のどこで起こった事態であれ、日本の平和と安全を脅かすと判断すれ ば、米軍と共同して動く可能性を開いてしまったのだ。

こうした判断の背景には、九〇年代の世界状況に対する認識があったといえよう。冷戦後 の「米国の一極支配」とか「唯一の超大国となった米国」といった議論が主潮となり、深い思慮もなく米国の世界戦略との一体化が加速されてしまったのであ る。そうした状態で二一世紀を迎え、九・一一の衝撃を受けた米ブッシュ政権が、逆上してアフガニスタン、イラクへと軍事進攻するのに対し、「日本は米国に ついていくしかない」という思考停止の選択を余儀なくされていった。

日米安保条約が締結されて約六〇年、その変質の中で不可解なのは日本側 のコスト負担の増大である。元々、地位協定において日本側経費負担はなかった。地位協定二四条では、米軍駐留に伴うすべての維持費は、日本ではなく米軍が 負担することになっていた。日本は基地の土地は提供するが、維持費は米国側が負担することになっていたのである。一九九二年まで、フィリピンに存在してい たクラーク空軍基地、スービック海軍基地のごとく、米国がフィリピン政府に「使用料」(米側の言葉では「援助金」)を支払っていたケースさえあった。

と ころが、日本側負担は次第に拡大し、一九七八年からは金丸信防衛庁長官(当時)が、日本人基地労働者の福利厚生費の一部を「思いやり予算」の名目で負担し たことを始まりとして、日本側負担増が常態化してきた。基地周辺対策費や用地賃借料などを含め、今世紀に入っても年平均六〇〇〇億円前後の米軍基地経費の 日本側負担(含む思いやり予算)が続いており、冷戦後の二〇年間で、累計一〇兆円を超す米軍基地関係費用を日本国民は「安全のコスト」として税金で負担し てきたのである。

世界にも他に例がないほどの、受け入れ国が米軍基地の経費の七割を負担しているという事実が、逆に現状変更を困難にする要 素になっていることに気付く。「米軍を配備するうえで、最も安上がりの場所」という認識が米軍関係者にまで浸透し、日米双方に「日米安保で飯を食う利害関 係者」を増幅させてしまったからである。過日の民主党新政権による「予算仕分け」作業において、沖縄米軍基地で働く九〇〇〇人の日本人従業員の給与が県内 の同等業務の労働者の給与より二~三割程度割高であることが指摘され、「削減」が議論されたことに対して、基地労働者の代表が怒りのコメントを語っていた が、基地問題の複雑さを印象付けられた。

ともあれ、冷戦後の一〇年は、日米安保を構造的に見直すことなく「空白の一〇年」となった。そして、二一世紀を迎えて直面したのが九・一一であり、それを受けた「米軍再編」の動きによって、日米同盟はさらなる変質を始めた。

米軍再編とは何だったのか

○九年に亡くなった軍事評論家の江畑謙介は、正確な知識と情報に基づく軍事評論家として敬服すべき存在であった。その晩年の著書『米軍再編』(二〇 〇五年、新版二〇〇七年、ビジネス社)は、米軍再編の真実を冷静に分析した作品であった。この中で「米軍は必要な時に日本を、太平洋を越えた兵站補給、部 隊展開の前進拠点にしようとしている」と米軍再編の本質を見抜いていた江畑は「同床異夢の米軍再編には危険が潜む」と指摘、基地の縮小・移転、地位協定の 改正、思いやり予算の削減などについて戦略的提言をしていた。我々は江畑謙介の問題意識と提言を重く受け止めなければならない。

米軍関係者 が「トランスフォーメーション」という米軍再編は、ブッシュ政権の国防長官だったラムズフェルトが主導した、九・一一後の米国の「イラク戦争」「テロとの 戦い」に即応した戦略であった。狙いは「①先制攻撃さえ含むテロとの戦いの効率化、②同盟国軍隊との共同作戦の強化」にあり、本来の日米安保の目的を逸脱 したものであった。

アーミテージ元国務副長官は、〇九年一二月に都内で行われた日米関係に関するシンポジウムにおいてさえ、「皆さんが今 夜、安心して眠れるのは米国が日本を守っているからだ」と訴えていた。悪意はないのだろうが、残念ながら日米安保の実体が「日本を守る」「極東の安全を守 る」という原点から大きく乖離し、中東から中央アジアまで「イスラム原理主義」を意識した、テロとの戦いなる「アメリカの戦争」に対する共同作戦の基盤へ と変質していることを正確に伝えていない。「イスラム原理主義」に立つテロリストとの戦いは、微妙にイスラム全体の憎しみを増幅し、文明の衝突さえ誘発し かねないリスクがある。日本の立場をいえば、イスラムが日本の安全保障を脅かす構図に自らを置くことは愚かである。

一九八〇年代から、私は 中東問題に巻き込まれてきたが、日本人が自覚すべきは、多くの中東諸国の人たちが「日本は中東のいかなる国にも武器輸出も軍事介入もしたことのない唯一の 先進国」という事実に敬意と好感情を抱いているということである。また、米国とは異なり、「イスラエル・パレスチナ問題」に対して「イスラエル支持」を表 明せざるをえない国内事情があるわけでもない。日本の立ち位置を自覚し、世の中には日米共同で当たるべきこととそうでないことが存在することを強く認識し なければならない。

改めて日本を取り巻く「脅威」とは何か

二一世紀初頭の一〇年間を経ようとしている今、世界が大きな構造転換を進めつつある中で、日本の安全を脅かす危機とは何であろうか。冷静に再考すべきである。

ロ シアの脅威はどうか。北方四島、漁業を巡る利害の対立はないとはいえないが、ソ連時代のような軍事攻撃の可能性は現実的ではない。むしろ、二〇〇八年に起 きた「グルジア侵攻」などの問題が米露対決を招き、「新冷戦の時代」のような事態になって、同盟国として「米国の戦争」に巻き込まれる可能性のほうが高 い。

では、北朝鮮の脅威はどうか。確かに、国力にそぐわぬミサイル、核開発を進める北朝鮮は脅威である。ただし、冷戦の時代の北朝鮮の脅威 と現在の脅威は異なる。冷戦の時代、北朝鮮が「南進」することは後ろ盾のソ連・中国と呼応しての軍事行動であり、韓国や日本にとっては「社会主義への体制 転換の脅威」であった。しかし、現在の北朝鮮の脅威は「ならずものとしての脅威」(撹乱要因)であり、世界に共鳴者を拡大できるメッセージもなく、「冷戦 孤児」として孤立を深める先軍国家が放つ断末魔の叫びのようなものである。

ただし、北朝鮮が自暴自棄的な「南進」をする危機は皆無とはいえ ず、沖縄海兵隊の抑止力などは重く認識すべきであろう。しかし何よりも日本としては、北朝鮮のミサイル・核を「使えない兵器」にする外交戦略が重要であ り、ロシア、中国、韓国、米国を引き込んだ「北東アジア非核化構想」などを主導し続ける姿勢が必要となろう。

では中国の軍事的脅威はどう か。中国の国防費は二一年連続で増加を続け、二〇〇九年度には六・九兆円(前年度比一四・九%増)と日本の防衛予算(このところ五兆円水準)を大きく上 回っている。人経費水準の低い中国の事情を配慮すると、正面装備は驚異的な充実を図っているといわざるをえない。そこで「日米同盟を強化して中国の脅威と 向き合おう」という論理に引き込まれがちになるが、事態は単純ではない。米中関係の変化である。二〇〇六年から始まった「米中戦略経済対話」は、オバマ政 権になって二〇〇九年四月に政治・安保を含む閣僚級会議に格上げされることになった。また、「米中ビジネス・カウンシル」には五〇〇社近くの米国企業が参 加し、昨今の日米財界人会議の低調とは対照的に一段と密度の高い交流を深めている。

そこで、一つの仮説として、もし中国が尖閣列島を武力占 領した場合、日米安保が発動されて米国が行動を起こすかを考えてみたい。日本人の期待からすれば、尖閣は沖縄返還の瞬間まで米国が施政権を持っていた地域 であり、「どちらの領有か分からない」などというものではない。だが、米外交官が近年においても「日中間の領土問題に巻き込まれたくない」と発言している 如く、米国の本音は微妙である。おそらく、その時点での米政府が米国民世論を配慮し、行動を起こすのが妥当と判断すれば、尖閣防衛に動くかもしれないとい うのがバランスのとれた認識であろう。

こうして思索を巡らせると、日米共同して向き合わねばならない脅威(有事)というものも、大きく変質 し、必ずしも鮮明ではないことが分かってくる。日本側からの過剰期待や過剰依存は成立しないのである。むしろ、一番説得的なのが「戦略的あいまいさ」とで もいおうか、日米軍事同盟による米軍の存在自体が、漠然たる「レバレージ」(危機対応力)を象徴しているという考え方で、「日本が孤立した存在」ではない ことを担保する仕組みとして機能しているという捉え方であろう。

日米同盟の進化とは何か

さて、こうした認識を基盤として、我々はいかなる二一世紀の日米同盟を目指すべきなのであろうか。日米双方で政権交代が行われ、これまでの利害や固定観念を超えて我々は柔らかい構想を探求すべきであろう。

ラ イシャワー東アジア研究センター所長のケント・カルダーは『米軍再編の政治学―駐留米軍と海外基地のゆくえ』(日経新聞社、二〇〇八年)において「過去五 〇年間、基地受け入れ国で政権交代がなされた後に、撤退する確率は、アメリカの基地の場合でも六七%」という興味深い事実に触れている。東アジアの現状を 冷静に捉えるならば、「戦略的あいまいさ」であっても、日本での米軍の存在は一定の枠においては継続されるべきものであろう。ただ、これまでの惰性ではな く、熟慮の上、相互信頼に値する日米同盟の再構築に立ち向かうべきである。その方向に向けて論点とされるべきことを下記したい。

(1)日米 の戦略対話の仕組みを構築し、「未来志向の日米関係」に関して経済と安全保障の二本立てで閣僚級討議を深め、日米同盟を再設計する。すなわち、経済産業に おける日米連携の深化のための日米産業協力や日米FTA(自由貿易協定)などを具体化する戦略対話と、安全保障体制の進化のための在日米軍基地の在り方 や、日米防衛協力についての戦略対話を実現する。

(2)安全保障に関しては、長期的に目指すべき日米軍事同盟の在り方について日本側の考え 方を明確にする。例えば、東アジアに軍事的空白を作らないことを配慮しつつ、米軍基地・施設を使用目的ごとに検討し、目的を終えたものから削減し、まずは 一〇年以内に半減を目指す。(注 地位協定二条3には「この協定のため必要でなくなったときは、いつでも日本側に返還しなければならない」となっている)

(3) 地位協定については、米軍基地を順次「日本政府が管理する枠組みなかで、米軍を自衛隊基地に駐留させる形での共同管理方式(地位協定二条4-b)」へと移 行する。(注 石破元防衛庁長官もかつて同様の問題意識で「将来、原則としてすべてのアメリカ軍を自衛隊が管理・運営する基地に駐留させること」、つまり 日本が主権を持つ形での共同使用を提案していたという)

(4)将来に向けての新たな日米安保の形として、「アジアに軍事的空白を作らない」ために、米軍のプレゼンスを維持する仕組みとして、ハワイ・グアムに「緊急派遣軍」的戦力を一定期間保持して、日本・韓国が応分のコスト負担をする方式など柔軟なシナリオを模索する

(5) 普天間問題は、長期的な日米安保体制の見直しの中で検討されるべき事項であるが、基地使用継続に伴う周辺住民への危険を配慮し、米側と取り決めた「二〇一 四年までの移転完了」を可能とする現実的選択肢を速やかに決定する。この場合、米側の戦略計画にも配慮し、「沖縄・グアムを合わせた戦力の維持」が合意形 成のポイントとなるであろう。

思えば、本稿の冒頭で提起した「常識に還る」という視点は、米国が英国からの独立を目指した際、米国民の「合 言葉」として共有されたトマス・ペインの「コモンセンス」(一七七五年)に通じるものである。ペインは正にコモンセンス(常識)として、イギリスへの従属 や依存が「イギリスの正義」に基づく不必要な戦争に米国を巻き込むことの危険を訴え、米国の自立自尊を呼びかけた。時代背景は違うが、日本人が心に抱くべ き問題意識とも共鳴するものである。

我々は静かに「現代における条約改正」に向き合うべき局面に近づきつつある。

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