2011年2月13日日曜日

連載「脳力のレッスン」世界 2010年9月号

代議制民主主義の鍛え直しへ—2010参議院選への視点   寺島実郎

劇的な「政権交代」をもたらした二〇〇九年夏から約一年、参議院選挙は「与党大敗」という結果に終わった。「ねじれ国会」を選択した国民世論、揺らぎの中で実は政治の底流における「代議制民主主義」そのものの機能不全が浮かび上がる。

代議制民主主義の練磨

いうまでもなく日本の政治は「代議制民主主義」をベースにした「議員内閣制」を採用している。国民が政策決定に参画する直接民主制ではなく、代議者 を通じた間接民主制による意思決定を行っているわけだ。政治学では、「ギリシャやローマのような声が届く範囲での意思決定ならば、タウンミーティングのよ うな形での直接民主主義は可能だが、大衆が政治に参画する近代民主制においては、国民と意思決定を?ぐ代議者の存在が必要」という認識が定着している。そ して、この仕組みがこの国の意思決定において最適とはいえなくとも妥当な合意形成をもたらすという幻想が成立してきた。

だが、代議制を通じて適切な意思決定ができるという確信は揺らぎつつある。二世議員やタレント議員の跋扈など代議者の質の劣化もあるが、国 民の潜在意識における代議制への失望を加速している要因は、実はIT革命(デジタル情報革命)の進行を通じた「直接民主主義は可能かもしれない」という予 感の広がりにある。もし「民主主義」という言葉を純粋に突き詰め「国民の声を正確に反映する政治をすること」に最大の価値を置くならば、情報ネットワーク 技術を駆使して、争点、政策ごとに国民投票のような形で国民の意思を確認することは可能になりつつある。「ネット投票」のごとく、本人認証を的確にして国 民一人一人の政治への直接参加を促すことは技術的に可能という時代を迎えている。少なくとも、送られてきた葉書(投票券)を近所の学校に持って行き、多く の場合面識もない代議者に投票をし、その代議者を通じて国政に参画するという迂遠な手続きを踏むよりも、はるかに民主的意思決定に近づけるかもしれない。

他方、もし「代議制民主主義」における代議者の役割を、単なる国民と意思決定を?ぐパイプ役ではなく、代議者の国民に向き合う見識や指導力 に期待するものとするならば、代議者に求められる要件はより高度なものにならざるをえない。つまり、代議制を残すのであれば、代議者の資質はより厳しく吟 味されねばならないのである。ではどうするべきか。そのための第一歩が「代議者の数の絞り込み」なのである。

現在、日本には衆議院四八〇人、参議院二四二人、合計七二二人の国会議員が存在する。米国の場合、下院四三五人、上院一〇〇人の合計五三五人である。人口が日本の二・五倍であるから、人口比では日本は米国の三・三五倍の国会議員を抱えていることになる。

国会議員の定数削減については、今回の参院選を前にした国会答弁で管直人首相も「衆議院で八〇人、参議院で四〇人、合計一二〇人の削減」を 明言し、自民党も定数削減をマニフェストに掲げている。これでも一七%程度の削減にすぎず、今後の半世紀で日本の人口が二割以上減少するとの予想を考える と、より徹底した定数削減がなされるべきだが、まずは一二〇人の国会議員削減を実現することが肝要である。これだけでも直接・間接の費用を合わせて三〇〇 億円の「代議制のコスト」が削減されるのだ。

実は、市町村合併の進展(平成の大合併)によって、地方の代議者の削減は驚くほど進んだ。市町村の数は一九九九年三月末の三二三二から二〇 一〇年三月末の一七六〇となり、市町村議会の議員数も五・九万人から三・四万人へと二・五万人も削減された。市町村合併には「行政サービスの低下」などの 問題も指摘されているが、少なくとも地方代議員の削減において前進した。次は国会議員の削減である。逆説的だが、政治の究極の目的は政治で飯を食う人を極 少化することである。その中から「職業としての政治」を志す人物が練磨され、真の民主主義の指導者たりうる存在が育つのである。

2010参議院選挙の意味

さて、今回の参院選を「自民党の勝利」というのは間違いであろう。比例区の自民党得票率は前回の三一・四%から二四・一%まで七%も下落し、得票総 数も一四〇七万票に留まった。対する民主党の得票総数は一八四五万票、得票率は前回の四〇・五%から三一・六%にまで下落したが、自民党よりは七・五%も 上回った。自民党の党勢の回復とは言い難いのだ。

それでも、自民党が改選議席を一三議席も上回った理由は一人区における健闘であった。一人区というのは、大都市部ではなく田舎の農村部とも いえる選挙区である。前回は民主党が農業政策などで攻勢をかけ、二三勝六敗と大勝したのだが、この一人区で今回は民主党の八勝二一敗となった。一人区では 第三勢力が候補を立てても勝てる見込みがないため、民主対自民の一騎打ちになるケースが多い。そうなると与党を支持しない票は全て候補者を立てている野党 (今回の場合は自民党)に集中し、票が割れるという事態は起きない。政権党となった民主党に失望した票がすべて自民党候補に向かい、一人区だけで自民党が 一五議席も前回を上回るという事態が生じたのである。

「民主党への失望」は、決して「消費税」を巡る管首相の発言への反発などという表層の次元のものではなく、政権交代から今日に至る民主党の 政策思想の基軸の揺らぎに対する失望であろう。外交安保から財政、経済産業政策に至るまで、マニフェストからの路線変更とぶれが続いている。政権が何を目 指すのかが見えなくなり、「民主党の自民党化」が続いている。政権党の定見の無さはこの国の未来に重苦しい閉塞感を与えており、国民は迷いを経て失望に向 かいつつある。

こうした状況を踏まえた第三極狙いの新党設立ラッシュの中で「みんなの党」だけが一定の支持を得て一〇議席を獲得した。比例区の得票率で一 三・五九%、七九四万票を獲得したが、比例区のトップ当選者の個人名での得票はわずかに八・七万票、しんがりでの当選者の得票は三・七万票であった。一議 席も獲得できなかった国民新党の比例区での総得票は一〇〇・〇万票で、第一位の得票者たる長谷川憲正が郵政関係の組織を基盤として獲得した票が四〇・七万 票だったのと好対照であった。つまり、みんなの党の獲得議席は、候補者個人が支持されたわけではなく、みんなの党という党への漠然たる期待が積みあがった ものだった。

この政党の本質は、その顔ともいうべき渡辺喜美代表の立ち位置をみても分るごとく「行政改革にこだわる保守政党」であり「小泉改革に連なる 新自由主義を政策基調とする保守政党」である。政策の全体像は見えないが、民主党には失望したが自民党に回帰しえない層が「止まり木」として一時的に身を 寄せたというべきであろう。その意味では、保守分裂の中から「保守バネ」の発動として過去にも一時的に支持層を繋ぎ止める装置として機能した河野洋平の 「新自由クラブ」(一九七六年)や細川護熙の「日本新党」(一九九三年)ブームの系譜に位置づけられるべき存在といえよう。

ただし、東西冷戦を背景に「保守対革新」が概ね「資本主義対社会主義」の対立概念の中で鮮明に対照できた時代とは異なり、イデオロギーの終 焉後の「自民党対民主党」は政治思想的な対立軸が消失し、複雑に混在している。つまり政党という政治の上部構造はいかにようにも変容し、合従連衡、再編を 繰り返す可能性を孕んでいるのである。この意味でも代議制は液状化している。

それにしても、その他の新党の結末は惨めだった。平沼赳夫、与謝野馨に石原慎太郎都知事までが参加した「たちあがれ日本」は一二三万票でわ ずか一議席、世論調査で一時は「総理にしたい人第一位」とされた桝添要一率いる「改革」も一一七万票で一議席に留まり、首長連合として山田宏(前杉並区 長)、中田宏(前横浜市長)らが参画した「創新党」は四九万票で議席獲得さえできなかった。国民やメディアの関心が一段と移ろい易いものになっている。新 党の側も必死に差別化を図ろうとし、リーダーの大衆的人気に寄りかかる戦いを進めるのだが、国民の側は熱しやすく冷めやすい。

創造的な政策の選択肢と政策思想の基軸さえ国民に明示できぬ政党と移ろい易い民衆の意識を考えたならば、この国の政治を政局だけに関心のある政治好きの人たちに委ねてはならないとの思いが高まる。それゆえに代議制民主主義の練磨という視点が重要なのだ。

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