2012年11月1日木曜日
維新の会と石原慎太郎
この理由の背景は単純である。それは天皇制をどのように見ているかで決まる。自民党も維新の会も、そして恐らく石原新党も、間違いなく天皇は国家元首であると言い切るだろう。それが何を意味するかは察しがつく。このように天皇制を利用しようとする輩が考えている事はただ一つ、それは時代錯誤の富国強兵である。彼らには、明治維新で武士階級が成し遂げた改革の本当の意味を理解していないのである。単に日本という国が強い国になったという結果だけを見ているに過ぎない。そこには徹底的に明治維新で武士たちが考えていた、真の意味の国家観というものの理解が欠落しているのだ。現代の世界で、過去の太平洋戦争という間違った国家覇権主義を再燃させるような愚を繰り返すことは断じて許されない。
明治維新とは、間違いなく西欧の巨大な武力と、その国力による「侵略される」という危機感から来た国家の変革である。科学技術というものによる発展によって得られた果実を日本も持たない限り、わが国が中国のように侵略されるという正しい歴史認識が背景にあった。そのために国家をまとめ、早急に西欧型の国に変えることで、西欧に負けない武力と国力の実現を目指したのである。天皇制は、その手段の一つとして国民という新しい概念の人々をまとめるために作られた宗教に過ぎない。そこで利用されてものは、江戸の後期に作り上げられた国学、特に平田篤胤による平田神道が採用されたのである。これにより国家神道というものが天皇を神として作られ、国民はその下にまとめられることで富国強兵のための制度が整えられてゆく。教育も、西欧の科学技術や制度の移入を目的とするものになり、英語、数学、法律が最も大事にされてゆく。精神的な問題は儒教にあった孝の原則を忠孝こそが第一というものに変えられ、天皇という国家への奉仕を基本にされたのである。もともと江戸時代には、武士を始めとしてその他の階級の者たちも、のちに西欧各国が驚くほど教育の程度は高く、識字率は世界で最も高いほどであったので、その後の日本は世界が驚くほど速い速度で西欧化に成功したのである。
この背景を正しく認識せず、天皇制こそが日本であるかのような錯覚は完全に歴史の誤認である。天皇制は、古くから現憲法の規定のように、基本的に象徴に過ぎないものであったのである。なのに万世一系の天皇制は尊いものであるから、日本人はそのもとで一つにならなければならないなど笑止千万である。このように問題の本質さえ正しく見れない人間たちが、どれだけ集まったとしても烏合の衆に過ぎないだけでなく、誤った歴史観から又しても戦争というものを始める事になりかねない。本当の意味の明治維新とは何だったのか、それすら理解できない人間が新しい国を作れるなどあり得ないだろう。石原慎太郎も橋下というエセ改革者も、少しは自らの認識の浅さを恥じ、本当に日本が必要な事は何か、恥を晒す前に、今一度よーく考えるべきである。
我が国が必要としている事は、正しい歴史認識に基づく日本というものの再発見である。明治以前に培われた、人間崇拝という国家神道ではない、本来の自然崇拝である原始神道、三国伝来の仏教の思想、そして江戸期の武士たちの基本となった儒教の思想などを正しく理解しなければならない。さらに西欧の思想をその根本的に理解するために、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教などと共に、彼らの哲学史を正しく理解すべきである。現代と将来の地球に必要な思想を持ってこそ、はじめて日本人は世界中から尊敬される国民になれるのである。ただお金だけで世界と付き合うなどは愚の骨頂に過ぎない。精神を忘れた人間が尊敬されるわけがない。西欧至上主義からの脱却こそ、我々にいま求められている事である。 では我々は何を目指すのか?答えは仏教の思想にある。一人一人が神になるのだ。それこそが一神教というものの間違いを認識でき、我々が何たるものかを認識するものであると確信する。
2012年4月19日木曜日
岩手県出身の小沢一郎が語る新しい街つくり
2012年4月8日日曜日
権力欲が権力を手にした時
脱原発は、脱成長路線 佐伯啓思
2012年2月15日水曜日
プライマリーバランス
国の歳入から歳出を引いた額が±0に近いほど均衡が保たれているということ。
グローバル・インバランス
デフレ脱却
1:政府や日銀の中にいる人たちは本当にバカで経済の理論が理解できない。そのためにずっとデタラメヲやっている。
2:通貨供給量を増やすと景気がいっぺんに良くなってしまい、「お前ら、今まで何やっていたんだ!」と世間から責任を追及されるので、それを避ける為に言い訳をして何もしない。
3:日銀や政府の中に外国のスパイがいて、デフレを長引かせて日本の経済停滞を招き、国力を落とそうとしている。
どれかひとつが、正解かもしれないし、すべて正解かもしれない。 上念 司
2012年2月6日月曜日
2012年2月1日水曜日
遺伝子組み換え作物
日本語ではいくつかの表記が混在使用されている状況である。「遺伝子組換作物反対派」は遺伝子組み換え作物、厚生労働省などが遺伝子組換え作物、食品衛生法では組換えDNA技術応用作物、農林水産省では遺伝子組換え農産物などの表記を使うことが多い。
英語の genetically modified organism からGM作物、GMOとも呼ばれることがある。ただし、GMOは一般にはトランスジェニック動物なども含む遺伝子組換え生物を指し、作物に限らない。
遺伝子組換え作物の作製には、開発過程の高効率化や安全性に関する懸念の払拭のために様々な手法が取り入れられている。たとえば、遺伝子の組換わった細胞(形質転換細胞)だけを選択するプロセスにおいて、かつては医療用、畜産用の抗生物質と選択マーカー遺伝子としてその抗生物質耐性遺伝子が用いられていた。現在ではそのような抗生物質耐性遺伝子が遺伝子組換え作物に残っていることが規制されており、それ以外の選択マーカー遺伝子を利用したり、選択マーカー遺伝子を除去したりといった技術が開発された。
遺伝子組換え作物の栽培国と作付面積は年々増加している。2010年現在、全世界の大豆作付け面積の81%、トウモロコシの29%、ワタの64%、カノーラの23%がGM作物である。限定的ではあるが2009年には日本も遺伝子組換え作物の栽培国となった。
日本の輸入穀類の半量は既に遺伝子組換え作物であるという推定もある。
遺伝子組換え作物の開発・利用について、賛成派と反対派の間に激しい論争がある。主な論点は、生態系などへの影響、経済問題、倫理面、食品としての安全性などである。生態系などへの影響、経済問題に関しては、単一の作物や品種を大規模に栽培すること(モノカルチャー) に伴う諸問題を遺伝子組換え作物特有の問題と混同して議論されることが多い。食品としての安全性に関して、特定の遺伝子組換え作物ではなく遺伝子組換え操 作自体が食品としての安全性を損なっているという主張がある。その様な主張の論拠となっている研究に対し、実験設計の不備やデータ解釈上の誤りを多数指摘 した上で科学的根拠が充分に伴っていないとする反論もある[1]。
従来の育種学の延長で導入された1973年以降の遺伝子組換えの手法としては放射線照射・重イオン粒子線照射・変異原性薬品などの処理で胚の染色体に 変異を導入した母本を多数作成し、そこから有用な形質を持つ個体を選抜する作業を重ねるという手順で行われた。最初のGMOが作成された後に科学者は自発 的なモラトリアムをその組換えDNA実験に求めて観測した。モラトリアムの1つの目標は新技術の状態、及び危険性を評価するアシロマ会議のための時間を提供することだった。生化学者の参入と新たなバイオテクノロジーの開発、遺伝子地図の作成などにより、作物となる植物に対して、「目的とする」形質をコードする遺伝子を導入したり、「問題がある」形質の遺伝子をノックアウトしたりすることができるようになった。米国では研究の進展とともに厳しいガイドラインが設けられた。そのようなガイドラインは後に米国国立衛生研究所や他国でも相当する機関により公表された。これらのガイドラインはGMOが今日まで規制される基礎を成している。
初めて市場に登場した遺伝子組換え作物と言われるのは、アンチセンスRNA法(mRNAと相補的なRNAを作らせることで、標的となるタンパク質の生合成を抑える手法でRNAi法の一種)を用いて、ペクチンを分解する酵素ポリガラクツロナーゼの産生を抑制したトマトFlavr Savrである。他のトマトと比較して、熟しても果皮や果肉が柔らかくなりにくいという特徴を持つ。
モンサント (企業)
2005年の売上高は62億ドル、2008年の売上高は110億ドル、遺伝子組み換え作物の種の世界シェアは90%。研究費などでロックフェラー財団の援助を受けている。
また自社製の除草剤ラウンドアップに耐性をもつ遺伝子組み換え作物をセットで開発、販売している。バイオ化学メーカーとして世界屈指の規模と成長性を誇り、ビジネスウィーク誌が選ぶ2008年の世界で最も影響力があった10社にも選ばれた。
本社の存在するセントルイスには世界屈指の規模を誇るミズーリ植物園 があるが、モンサント社はここのハーバリウム(植物標本保存施設)の建設に多額の寄付をしていることでも知られている。
同社を有名にした商品の一つはPCBであり、アロクロール(Aroclor)の商品名で独占的に製造販売した。日本では、三菱化成(現三菱化学)との合弁子会社であった三菱モンサント化成(現在は三菱樹脂へ統合)がPCB製造メーカーの一つであった。また、農薬のメーカーとしても著名で、ベトナム戦争で使われた枯葉剤の製造メーカーでもある。この枯葉剤には不純物としてダイオキシン類が含まれており、後に問題となった。
除草剤ラウンドアップを開発し、近年ではラウンドアップに耐性をもつ様々な遺伝子組み換え作物(ラ ウンドアップ・レディー: Roundup Ready)を分子育種して、セットで販売している。なお、ラウンドアップの有効成分グリホサート(glyphosate)自体の特許は既に有効期限が切 れている。その他、雄性不稔や病害虫抵抗性やストレス抵抗性や成分改変の様々な組換え品種も開発している。モンサント社の遺伝子組換え作物の強引なシェア確保商法に対して欧州を中心に問題となっている。そのため、農業分野における米国の世界支配を支える企業という批判の的となることがある。
遺伝子組換え作物とモンサント
上述のように遺伝子組換え作物に力を入れている企業である。多くの種苗会社の他、新たな遺伝子組換え品種や技術を開発した企業を吸収したり、それらの企業に資本参加している。自社の開発した遺伝子組換え作物の種子を販売するに当たり、次回作には自家採種したものを利用しないとの契約を栽培農家との間で結んでいることが多い。そのため、その契約に違反して遺伝子組換え作物の種子を自家採種し以後の作付けに利用した農家に対して、知的財産権侵害として多くの訴訟を起こしたことから注目を集め、一定の批判を受ける事態が生じた。
また、"いわゆる"「ターミネーター遺伝子」を組み込んだ組換え品種を開発した企業を買収した。"いわゆる"「ターミネーター遺伝子」や「ターミ ネーター技術」とは、遺伝子組換え作物に結実した種子を発芽できなくするものであり、農家による遺伝子組換え作物の自家採種を無効にしたり、遺伝子組換え 作物による遺伝子の拡散や遺伝子汚染を防ぐために開発されたものである。しかし、この技術の倫理性に疑問が投げかけられたために、これを用いた種子の流通 はまだ行われていない。
発展途上国の農民が同社の遺伝子組換え作物の種子に頼りきりになった場合、品種特性の多様性の低さによる病虫害や品種と栽培地帯とのミスマッチ、種子の値段の高さからかえって農民が困窮するという場合もある。
例えば、1999年に世界第3位の綿花生産国インドに進出したモンサントは、害虫に強く、収穫量と利益を増やすという宣伝文句で、GMOの種子を販売した。ところが、この種子に組み込んでいた害虫駆除の遺伝子は、インドにいる害虫にはほとんど効果がなく、しかも2006年は干ばつの影響もあって綿花栽培農家は打撃を受けたが、インドに限らず干ばつや環境変化により世界中で被害が出ている[1]と非難する向きもある。しかし、一方では実際にはBtワタの方が経済的な利益が多いという報告もある[2]。更に、The International Service for the Acquisition of Agri-biotech Applications (ISAAA)の新しい調査によると[3]、 現在ではインドの各地方に適した様々な遺伝子組換え品種が開発されており、インドにおいて2008年には綿花栽培面積の80%が、2009年には87% (約840万 ha)がBtワタになっている。2009年には560万人の小農がBtワタをインドで栽培している。遺伝子組換えワタを導入する以前と比較すると綿花栽培 に使用される農薬使用量の大幅な減少と単位面積当たりの収量の大幅な増加(2001-2002年では308 kg/ha、2009-2010年では568 kg/ha)によって、実際にはインドの農民に広く受け入れられている。
TPP、医療崩壊まねく 慎重に考える会が会合 情報不足に批判高まる
日本医師会の中川俊男副会長は「非常に危惧しているのは新自由主義的改革。市場原理を持ち込めばうまくいく、医療も例外ではないというもの。TPPは究極の規制改革だとわれわれは認識している」と危機感を表明。
TPPによって株式会社の医療参入など規制緩和が実施されるようなことになれば、「民間企業や投資家にとって魅力的な市場が開ける。そうなれば本当にお金がなければ医療が受けられない時代がやってくる」と強調、国民皆保険制度が崩壊しかねないことを訴えた。
日本歯科医師会の宮村一弘副会長は国民皆保険制度について「人と人との関わりのなかで作り上げてきたサービス。モノではないのでいったん壊れると元に戻る わけではない。国のあり方の問題であり、利益よりも価値として守るべきもの」などと強調した。そのほか日本薬剤師会の七海朗副会長らもTPP協定による医 薬品の安全性や薬価制度の自由化などへの懸念を表明した。
◆国民への情報開示が不可欠
慎重に考える会の山田正彦会長はこれらの報告を受けて韓米FTAに盛り込まれた医療・医薬品分野の自由化について解説。国民皆保険制度のある韓国だが韓米FTAによって保険適用除外を認める規定が盛り込まれ、これに即して経済特区をつくり、通常の6〜7倍もの治療費で診療を受ける大型病院の建設が進められる見込みだという。
また、医薬品の認証制度も国から独立した機関が担う仕組みに変更され、米国との協議機関を設置、そこで認証が行われることになっているという。
そのうえで山田氏は「TPPでは韓米FTAよりも高いレベルの協定をつくると米国は言っている」と指摘、医療分野にも大きな影響があり得ることを強調した。
しかし、会合に出席した外務省の片上慶一経済外交担当大使は、TPP交渉の現状について医療が独立した交渉分野にはなっていないことや、混合診療や企業参入が議論になっているとは「承知していない」などと話した。
この報告に対し福島伸亨衆院議員は「現在のTPP交渉参加9カ国のうち、混合診療規制や株式会社規制のある参加国はあるのか?」と追及、そうしたルールが ないから現在はその規制緩和が交渉事項にならないだけの話であって、日本が参加すれば交渉分野になり得ると強調し、TPP交渉で医療分野は対象になってい ないとする外務省の報告は「ミスリードだ」と批判した。
そのほか片上大使が資料を提供せず口頭説明だけで済ませたことに批判が続出。「資料がない、情報がないでどうして交渉ができるのか」と追及の声が上がり、山田会長も資料の提供を強く求めた。
会合終了後、山田会長は「国民に情報を開示しないと判断できない。金融、保険、郵政、公共調達についても外務省の情報開示を求める」と話したほか、交渉に は参加し国益に反するなら抜ければいいという意見があることに対して「外務省も言っているようにそれはありえない。とくに米国の議会承認を経てはじめて交 渉に入れるわけだから、簡単に抜けられるわけがない」と話し、「情報が何もないなかで決めるのは本当にけしからんと思う。民主党だけですでに190人が慎 重にやってもらわなくてはいけないという意見(署名)。がんばっていきたいと思っている」と述べ、今後も頻繁に会合を開く考えを示した。
なぜ日本は加盟したい? サルでもわかる
また、外国から安い賃金で働く労働者が入ってくれば、人件費を安く抑えられるかもしれない。
何かあったら、なんでも「外資系企業への差別だ!」「内国民待遇を犯している!」と言ってゴネて、ゴリ押しできるようになる、ってことかな。
2012年1月31日火曜日
TPPで我々の資産が危ない
2012年1月29日日曜日
小沢一郎 インタビュー
2012年1月28日土曜日
国民よ、納税者よ、いつまで騙されるつもりなのか
独法や特別会計の統廃合という言葉が飛び交っている。民主党が消費増税のために官僚 からの入れ知恵のままに、形だけの改革という言葉によるものを導入しようとしている。過去、土光臨調というものから始まり、行政改革という官僚機構の姿の 変更のための試みは何回もされている。その答えはどうなのか。現在の国の形が答えではないのか。その冷徹な事実を誰も見ようとしていない。全ての試みは失 敗したのだ。JRを含めた民営化など何の意味もない。基本的にこれらの官営企業は民営という名前のもとに依然として天下り先のまま何も変わっていない。む しろ監査というものも入らない官僚のための独占企業になっただけである。高速道路はどうなのか、NTTは、JTは、良く考えれば分かるだろう。な ぜ変わる事ができないのか。国民はもっと考えなくてはならない。今度の民主党がやろうとしている独法などの統廃合で何が変わるのか。実質的には何も変わら ない。公務員給与も議員歳費も削減という言葉の裏で何がなされているのか。それは2年間だけの時限的な削減とかいうまやかしである。天下り先の統廃合や特 別会計の種類の統廃合をして何が変わるのか、よーく考えないとすぐに騙される。問題は予算が減るかなのである。来年度予算でこれらの統廃合の結果減るもの はあるのかを追求すればすぐに分かる。一銭も、びた一文も変わっていない。こんな事を何十年も続けているのだ。もう国民もいい加減にこんな茶番に騙されて はならない。国家というもので一番大事なことは予算と法律なのである。
何度も書いているように、法治国家という制度のもとでは主権の存在 は誰が法律を作る者なのかで決まるのだ。その意味ではこの国は閣法制度というもので官僚という行政府の職員が全てを作っているのだから「主権在民」ではな く「主権在官」なのである。法律によって予算が決められるのであるから、税金を支払う側への配分は常に少なく、税金で生活する公務員や政治家だけに配分が 多くなされるのは当たり前である。なぜなら政治家と官僚が一体化して国民に対して行政に関するあらゆる情報は開示されずに、都合のいい数字だけがマスコミ を通じて流されているからだ。国家の基本となるあらゆる情報が官僚側にあったら、一体、正しい行政とは何なのかを国民は一切判断できない。我々国民はあま りにも過去からの成り行きで基本を無視し続けてきている。国家の経済が過去のような右肩上がりでなくなっている今、税金がどのように使われなければならな いかは、過去とは比べられないような重要な問題になっている。税金は支払う側に還元されるために存在する。それでなければ払う意味はない。本質を考えて国 民は行動しよう。
せめて来年度予算についてもっと声をあげよう。官の人件費や経費、天下り先経由の補助金政策の見直し、それらの全てに対 して大幅な予算カットを求めよう。組織の統廃合なぞ何の意味もない。全体のパイを国民の方に多くすることこそが大事なのだ。これ以上、税金を使う側の勝手 にさせてはならない。その意味では次の選挙ではどのような者を国会議員として選ぶべきかもよく考えよう。選挙は近い。
2012年1月27日金曜日
政府の検討するTPPの意義
・品目、分野によりプラス・マイナスはあるが、全体としてGDPは増加。
・「国を開く」という強い意志を示すメッセージ効果→日本に対する国際的な信用および関心の高まり。
・韓米FTAが発効すれば日本企業は米国市場で韓国企業より不利に。TPP参加により同等の競争条件を確保。(参考)日本がTPP、EUと中国とのEPAいずれも締結せず、韓国が米国・中国・EUとFTAを締結した場合、自動車、電気電子、機械産業の三業種について、2020年に日本産品が米国・中国・EUで市場シェアを失うことによる関連産業を含めた影響資産(経済産業省資産)
・TPPがアジア太平洋の新たな地域経済統合の枠組みとして発展していく可能性あり。また、TPPの下での貿易投資に関する先進的ルールが、今後、同地域の実質的モデルになる可能性あり。
・TPP交渉への参画を通じ、出来るだけわが国に有利なルールを作りつつ、アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)構想の推進に貢献。横浜におけるAPEC首脳会議の主要な成果。
・逆にTPPに参加しなければ、日本抜きでアジア太平洋の実質的な貿易・投資のルール作りが進む可能性。
■TPPにおける交渉分野は、我が国のEPAと同様、市場アクセス分野のみならず、幅広い分野。
■我が国のEPAで独立した章を設けていない、「環境」、「労働」などの新規の分野も含まれる見込み。
■WTOドーハ・ラウンドを先取りし、日本企業の貿易・投資活動に有利なルールの策定に貢献しうる。(予測される分野)物品貿易(関税撤廃の例外を認める範囲、関税撤廃の経過期間等を含む)、原産地規則、貿易円滑化、動植物検疫、貿易救済措置、政府調達、知的財産権、競争政策、投資、サービス貿易、環境、労働、紛争解決等。
・アジア太平洋の地域経済統合枠組み作りを日米が主導する政治的意義大。対中戦略上も対EU関係でも重要。
・アジア太平洋地域の貿易・投資分野のルール作りにおいて主導的役割を果たすことにより、国際的な貿易・投資分野の交渉や、ルール作りにおける影響力を高め、交渉力の強化に貢献。
2012年1月18日水曜日
国際原子力機関(こくさいげんしりょくきかん、英: International Atomic Energy Agency、略称:IAEA)
国際原子力機関(こくさいげんしりょくきかん、英: International Atomic Energy Agency、略称:IAEA)は、国際連合傘下の自治機関[2]であり、原子力の平和利用を促進し、軍事転用されないための保障措置の実施をする国際機関である。2005年度のノーベル平和賞を、当時の事務局長モハメド・エルバラダイとともに受賞した。
本部はオーストリアのウィーンにある。またトロントと東京の2ヶ所に地域事務所と、ニューヨークとジュネーヴに連絡室がある。
創立の背景 [編集]
- 1942年 アメリカ合衆国は1942年、エンリコ・フェルミらによって実験炉による核分裂連鎖反応に成功した。
- 1945年 アメリカ合衆国が広島、長崎に原子爆弾を投下して約10万6000人を殺害、約11万人に負傷させた。
- 1948年 アメリカが太平洋で核実験を行った。
- 1949年 ソビエト連邦が核開発能力を備え、以後アメリカはより強力な水素爆弾の開発を進める。
- 1952年 アメリカ合衆国が水素爆弾の最初の爆発実験に成功した。
- 核兵器の大型化が進んだが、大陸間弾道ミサイルではなく航空機による爆撃を想定していたため、大型化は核兵器の輸送を困難にした。このため、アメリカ合衆国は西側諸国への核兵器配備を進める必要があった。
- 1953年12月8日、アメリカ合衆国大統領ドワイト・D・アイゼンハワーによる国際連合総会演説「平和のための核」(Atoms for Peace)。「アメリカ合衆国が追求するのは、単なる、軍事目的での核の削減や廃絶にとどまらない。この兵器を兵士の手から取り上げるだけでは十分でな い。軍事の覆いをはぎとり、平和の技術に適合させるための方法を知る人々の手に渡されなければならない。」と主張した。この中で同盟・友好国に対する 100キログラムの濃縮ウラン供与と、機関創設を提唱。真の目的はソビエト連邦やイギリスに先行された核体制の主導権奪還だった。
- 1954年 第五福竜丸事件を受け、アメリカ合衆国がさらなる核開発を進めていること、とくに表面的には核削減や廃絶を主張していたアメリカ合衆国が水素爆弾の実験を行っていることが明るみになると、国際的に反核運動が高まった。特にアメリカ合衆国が冷戦における地理的にも重要な国と位置づけていた日本での反核運動は、日本の共産化を危惧するアメリカ合衆国と、反米思想に傾倒させたいソビエト連邦双方によるプロパガンダ合戦に利用された。
- このような背景のもと、同年、ソビエト連邦がオブニンスク発電所の運転を開始した。西側諸国、東側諸国それぞれの中で、国同士の原子力協定の締結の動きが進み、1954年7月には国連において原子力に関する国際会議、第一回ジュネーブ会議が開催された。
- 同時期に西側諸国では、イギリス、カナダ、フランス、ノルウェー、日本などで運転が開始されたが、西側諸国の中で最初に商用原子力発電所となった のはイギリスのコールダーホール一号炉を待たなければならなかった。当時、原子力発電所は経済的コストが高く、政府の支援なしでは建設運転することが困難 であったが、東西冷戦の中、核開発、核配備を行うことは特に重要であり、米国の同盟国への原子力技術の移転は積極的に行われた。
- 1957年 国際原子力機関、米国主導で設立。
沿革 [編集]
1953年、アメリカ合衆国大統領のドワイト・D・アイゼンハワーによる国際連合総会演説「平和のための核」を契機とし、1957年に創立された。
事務局長は、1981年から1997年までハンス・ブリックス、その後はモハメド・エルバラダイ。2009年12月より天野之弥が就任した。任期は4年。
2007年のパラオの加盟により、加盟国は144ヶ国となった。
構成 [編集]
主な組織としては以下の三つが存在する。
総会 [編集]
総会(英: General Conference)は全ての加盟国の代表者から成り、理事国の選出、新規加盟の承認、予算の承認などを行う。
理事会 [編集]
理事会(英: Board of Governors)は35ヶ国の理事国によって構成され、機関の任務遂行を行う。
- 指定理事国(designated members)
- 指定理事国は、前任の理事会が原子力に関する技術の最も進歩した13ヶ国を指定。日本は機関の創立当初から指定理事国である。
- 選出理事国(elected members)
- 地域選出20カ国、付加選出2カ国が総会から選出される。
- 地域選出
- 南アメリカ5カ国・西ヨーロッパ4カ国・東ヨーロッパ3カ国・アフリカ4カ国・中東アジア2カ国・東南アジア・オセアニア1カ国・極東1カ国の計20カ国
- 付加選出
- 以下の2カ国を選出
- アフリカ・中東アジア・東南アジア・オセアニアから持ち回りで1カ国
- 中東アジア・東南アジア・オセアニア・極東から持ち回りで1カ国
事務局 [編集]
事務局長は事務局の長であり、機関の代表として、総会の承認を得て理事会が任命する。事務局長以下に以下の6局がある。各局長は事務次長を兼ねる。
- 管理局 (Department of Management)
- 技術協力局 (Department of Technical Cooperation)
- 原子力局 (Department of Nuclear Energy)
- 原子力安全保安局 (Department of Nuclear Safety and Security)
- 原子核科学応用局 (Department of Nuclear Science and Applications)
- 保障措置局 (Department of Safeguards)
加盟国 [編集]
- 指定理事国
- その他加盟国
歴代事務局長 [編集]
代 | 国籍 | 氏名 | 在任期間 |
---|---|---|---|
1 | アメリカ合衆国 | スターリング・コール | 1957 - 1961 |
2 | スウェーデン | シグバルド・エクルンド | 1961 - 1981 |
3 | スウェーデン | ハンス・ブリックス | 1981 - 1997 |
4 | エジプト | モハメド・エルバラダイ | 1997 - 2009 |
5 | 日本 | 天野之弥 | 2009 - |
動向 [編集]
2003年11月の定例理事会では、イランの核開発問題が取り上げられ、イギリス・フランス・ドイツ・日本が共同提案した非難決議案を全会一致で採択した。アメリカの主張する国際連合安全保障理事会への付託は見送られた。
創立以来、当機関の査察を拒否したと明確に当機関から認定されている国はイラク、イラン、朝鮮民主主義人民共和国の3カ国である[要出典]。
なお一部のWebサイトにおいて、日本が2007年に発生した新潟県中越沖地震に際して柏崎刈羽原子力発電所についての「査察」を一時拒否したとする主張がなされているが、IAEAの公式文書等にはその旨の記述は存在していない。
当時の日本政府が一時受入れ見送りを表明したのは地震の影響等に関する技術的な「調査」であって(その後、新潟県知事らの要求を受けて受入れに方針転換し、実際に調査が行われた)、当該「調査」は、核拡散防止条約に密接に関連するIAEA憲章等 が定める「保障措置」に基づいて行われる核物質の軍事転用の可能性の有無等につき確認を行う「査察」とは明確に区別されているものである。上記の主張は、 この「調査」と「査察」とを混同、誤解した可能性が高いものであり、評価には慎重さを要する。なお、イラク・イラン・北朝鮮の3カ国は保障措置に基づく 「査察」を拒否している。
脚注 [編集]
参考文献 [編集]
- Global power knowledge: science and technology in international affairs, John Krige, Kai-Henrik Barth, John Krige, Kai-Henrik Barth
- Encyclopedia of Cold War Politics (Facts on File Library of World History), Facts on File; illustrated edition版 ,ISBN:978-0816035748
- 『CIAと戦後日本』平凡社新書、2010年
- 『原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史』 新潮新書、2008年
- 現代史スクープドキュメント NHK 1994年放送, http://video.google.com/videoplay?docid=-584388328765617134&hl=ja#
関連項目 [編集]
ポータル 原子力 |
外部リンク [編集]
ウィクショナリーにIAEAの項目があります。 |
国際原子力機関 International Atomic Energy Agency (IAEA) | |
---|---|
IAEAの旗 IAEA本部 (オーストリア ウィーン) | |
団体種類 | 国際機関 |
設立 | 1957年 |
所在地 | オーストリア ウィーン Wagramer Strasse 5, A-1400 Vienna, Austria |
主要人物 | 天野之弥(事務局長) |
活動内容 | 原子力技術の平和利用の促進、軍事転用の監視・防止 |
ウェブサイト | http://www.iaea.org/ |
テンプレートを表示 |
A Short History of the IAEA
"The IAEA was created in 1957 in response to the deep fears and expectations resulting from the discovery of nuclear energy. Its fortunes are uniquely geared to this controversial technology that can be used either as a weapon or as a practical and useful tool.
The Agency's genesis was US President Eisenhower's Atoms for Peace address to the General Assembly of the United Nations on 8 December 1953. These ideas helped to shape the IAEA Statute, which 81 nations unanimously approved in October 1956. The Statute outlines the three pillars of the Agency's work - nuclear verification and security, safety and technology transfer." (Excepts from the book, IAEA: The First Forty Years by David Fischer) Read More → [pdf]
IAEA General Conference
The Annual IAEA General Conference
The 55th Annual Regular Session of the IAEA General Conference is set for 19-23 September 2011 at the Vienna International Centre (VIC) in Vienna, Austria, where high-ranking officials and representatives from IAEA Member States will consider a range of issues. More details about the agenda and sessions will become available over the coming weeks.
For further information on the IAEA General Conferences, past and forthcoming, please see the General Conference Archives.
Scientific Forum at the General Conference
A Scientific Forum will be convened in conjunction with the 55th General Conference - entitled Water Matters: Making a Difference with Nuclear Techniques - at the Vienna International Centre (VIC) in Vienna, the site of the General Conference. More »
Last year, at the 54th General Conference, the theme of the scientific forum was on Cancer in Developing Countries: Facing the Challenge. Read more →
Exhibitions
Member States and accredited organizations wishing to take part in the exhibition - usually set up as a side event to the General Conference - were kindly invited to submit their space requests in advance. For the 55th General Conference, the deadline for submission was 15 June 2011.
Relevant information and specifications shall be made available to the prospective exhibitors in due course. It should be noted that specific stands may not be automatically reserved every year by one Member State, but will be assigned by Conference Services on a rotational basis. For any additional information, please contact the IAEA Conference Services Section.
Registration
Only designated representatives from IAEA Member States and invited non-member States and organizations may register for the IAEA General Conference. View Registration Form.
いま原子力をどう位置付けるのか—より国家が責任を持つ体制を求めて
日本人は「核」と「原子力」を巧みに分けて考えてきた。英語でいえばNUCLEARなのだが、軍事における核(原子爆弾)と民生利用の原子力を分け ることで、被爆国の心理的抵抗を和らげようとしたのであろう。しかし本質的には核兵器と原子力発電は表裏一体であり、核(NUCLEAR)なのである。作 家村上春樹は、六月一〇日にバルセロナでのスピーチで3・11の悲劇に触れ、「福島の原発事故は、私たち日本人が歴史上体験する二度目の大きな核の被害で す」と述べ、「私たち日本人は核に『ノー』を叫び続けるべきだった」とし、「『効率』という安易な基準に流され、大事な道筋を見失ってしまった」と語っ た。注目すべきは、村上は軍事における核も原子力発電も「核」の裏表であることを鋭く認識し、この総体を全否定し、この魔物のような技術から距離をとるべ きだと主張していることである。
福島の現実を直視すれば、このスピーチは心に響くもので決して「非現実的な夢想家」とは思わない。確かに日本には、一九六〇年代敗戦からの 復興・成長の流れの中で、国を支えるエネルギー源に関し、被爆国として核(原子力発電)を拒否するという選択はあった。だが日本はそうしなかった。そし て、一九六六年にわずか一〇〇〇ドルだった一人当たりGDPを三五倍にし、人口を二八〇〇万人増やし、大衆消費社会を作った。原子力発電だけが豊かさを実 現したわけではないが、微妙に絡み合い相関していることも否定できない。今日、時代の空気は「反原発・脱原発」で、「再生可能エネルギーの重要性」を語れ ば拍手が起こるが話はそう簡単ではない。立ち止まり、戻るためにも思考のプロセスが必要なのだ。核というパンドラの箱を開いてしまった者には責任がある。
日本には五四基の原子力発電の原子炉が存在し、その発電総出力は四八八五万kWとなる。しかし、今回の震災を受けて止まっている福島、女川 をはじめ、政府の停止要請を受けて止まった浜岡や定期点検中のものもあり、現実に稼働しているものは一七基一五四九万kWにすぎない。原子力発電所は一 三ヵ月で定期点検に入るが、点検のため停止させた原子力発電所を再開するのも、現下の空気では地元の同意を得ることは容易ではなく、現実的には、長期にわ たり原発の総出力を三〇〇〇万kW台に戻すことは困難であろう。
菅首相就任直後の昨年六月、民主党政権は「エネルギー基本計画」を発表した。注目されたのは原子力の位置づけで、一昨年の政権交代におい て、「原子力発電には反対」を掲げる社民党を連立パートナーとしたため、これが懸案事項だった。結論は、驚くほどの「原子力重視」の、二〇三〇年の目標と して「電源供給の五割を原子力で」という数字になった。自民党中心の前政権でも原子力の比重は「電源供給の三割から四割」であったから、思い切って原子力 に舵を切ったことになる。理由は明確で、「エコロジーのための原子力」、つまり環境政策において「二〇二〇年までにCO2の排出量を九〇年比二五%削減す る」という目標を掲げたため、「CO2排出が少ない」という原子力に比重を置かざるをえなくなったのである。しかしながら福島の事態を受けて、「原子力で 電源供給の五割を目指す」などという目標は霧消したといえよう。新増設一四基どころか、既存原発の定期点検後の稼働も困難となると、最大限で「二〇三〇年 に電源供給の二割」というのが現実的目標値であろう。つまり、原子力は主力ではなく副次的・過渡的電源と位置づけざるをえないのが現実である。
それでも、「日本における原子力の平和利用技術基盤の蓄積は大事である」という論点に私はこだわりたい。本連載の五月号でもこのことに若干 言及したが、「原子力からの脱出」を特集テーマに掲げる本誌読者に、たとえ「脱原子」を目指すにせよ、基本認識とすべき日本にとっての原子力のもう一つの 論点を語っておきたい。
日本の国際責任―――原子力技術基盤を蓄積することの意義
原子力発電を推進してきた先進国において日本はユニークな立場にある。たとえば、「国連の五大国」とされる米、英、仏、露、中は、軍事としての核と 民生としての核を両輪のごとく展開している。これに対し日本は、「非核」という言葉で軍事としての核保有を断ち、平和利用としての原子力にのみ特化してき た例外的な存在である。たとえば、米国はスリーマイル島の事故以来三〇年、原発の増設にライセンスも出してこなかった。我々の常識では「そんな国がよく原 子力の技術基盤を維持できるな」と素朴な疑問を抱きがちだが、軍事分野で原子力の技術基盤を維持できるのである。原子力空母一〇隻は三〇万kW級原発を二 基搭載しており、原子力潜水艦七二隻は五万kW級の小型原発を一基搭載して動かしている。元々軍事目的で開発した「核」を民生転換したのが原子力発電だっ たわけで当然なのだが、日本の場合は、あくまで民生利用だけに特化して原子力の技術基盤の保持に向き合ってきた。
IAEAで、「世界の核査察予算の三割は日本で使っている」という話を聞かされ驚いた記憶がある。確かに、六カ所村の核燃料サイクルの現場 にはIAEAの専門家が三人常駐し、日本中の原子力発電所には「ブルーシール」が張られ、日本人が触れてはならない監視カメラが二四時間作動している。世 界は日本の核武装を疑っているのであり、万一日本が「北朝鮮が核保有するなら日本も」などという方向に向かえば、現在イランや北朝鮮に向けられている世界 の厳しい目線にさらされて孤立の道に迷い込みかねない。現在、日本は軍事としての核を保有していない国で唯一「核燃料サイクル」を国際社会で許容されてい る国である。「核廃絶」を目指す国際的核管理や原子力の平和利用における国際的制御のための中核国際機関としてのIAEAにおける日本の責任は重い。
視点を変えて、アジアをみれば、中国は原子力発電所を既に一三基一〇八〇万kW保有し、二〇三〇年には八〇基八〇〇〇万kWにする計画であ る。韓国も二四基、台湾も六基の原発保有国になろうとしている。福島の事態で見直しも予想されるが、近隣に原子力発電所が林立する可能性は否定できない。 福島が世界を緊張させているのは、海洋汚染を含め日本の国内で完結しないからである。万一、近隣で原発の事故が起これば、それは日本にも波及する問題とな る。その時、原子力の専門家や技術基盤が蓄積されていなければ、日本の役割は極めて低い。国際エネルギー戦略の世界で技術基盤も専門家も無い国が発言力を 持つことなど期待もできない。原子力の平和利用技術、とりわけ安全性に関わる技術は、日本にこそ蓄積されている形としたい。現実に核保有によって恫喝した り、「抑止力」だとする国が存在する世界で、日本が「核の廃絶」や「原子力の安全な平和利用」の国際的議論を主導しようにも、「核を軍事として保有しうる 技術基盤はあるが、決して作らない」という基軸がなければ、夢見る乙女のシュプレヒコールにすぎないのが、国際世界の現実なのである。
「開かれた原子力体制」から新たな「ベストミックス」へ
日本の立ち位置を熟慮して、原子力を一定の比重で維持するにせよ、現在の体制のままで進むことは問題である。原子力だけは極端なリスクを潜在させる エネルギー源であり、福島の教訓を整理して、より国家が責任をもって管理する体制に変えるべきであろう。具体的には、現在は九つの電力会社と日本原子力発 電、Jパワー(電源開発)にいう一一の会社で原子力発電事業を推進する国策民営体制をとっているが、原子力だけは電力事業者から分離統合し、一つの国営企 業によって管理運営する体制(国策統合会社)を志向すべきである。
主な理由は三点ある。一つは原子力技術者・専門家の分散という問題である。現在、原子力工学の卒業者が三・五万人、うち電力事業者に約九千 人が働いているが、それらを統括管理できる体制にはなっていない。とくに福島のように「多重防御」が破綻した緊急事態に対応する専門家による戦略体制を個 別電力事業者に期待することには限界がある。二つは個別の電力事業者では「自社内の効率性と経済性追求」という壁を乗り越えられないことである。たとえ ば、「廃炉」の判断にも安全投資にも経営とのバランスが優先されてしまう。三つは経営リスク限界を超えた賠償責任、福島の賠償スキーム議論を考えても、一 〇兆円を超す無限賠償責任が数十年に亘って発生する可能性を抱えた事業を、公開上場企業で抱えることができない。
日本も原子力安全委員会と経産省管下の保安院とを統合し、米国のNRC(原子力規制委員会)のようなものを作って規制を強化し民間会社体制 でやればいいと考える人も多いが、ペンタゴン(国防総省)が参画主導して、軍事と民生を一体化させた核管理を進める意思を内在させているNRCと日本の原 子力規制の行政体制は本質的に違う。日本はむしろフランス型の「EDF-AREVA体制」(国営による燃料確保・原子力発電・再処理などサイクル全般の統 合管理)を目指すべきであろう。
平和利用に徹している国だからこそ、国が責任をもって管理する体制で原子力と向き合うべきなのだ。ただし、国策統合会社などを作れば非効率 な「親方日の丸」の会社ができるだけとの批判には耳を傾ける必要がある。そこでIAEAとの信頼関係をベースに思い切り「開かれた原子力」という体制の確 立を主張しておきたい。経営陣が日本人だけである必要はない。また平和利用に徹して原子力発電を求める新興国の出資を招いてもよい。アジア広域の核燃料サ イクル(再処理)を共同で運営する体制を目指すことも検討されるべきだ。福島の苦渋の体験さえも的確に伝え共有する「開かれた原子力」を目指さなければ、 「原子力発電のシステム輸出」など期待すべくもない。もし将来、日本国民の合意が熟慮の決断で「脱原発」に向かうにしても、国家管理を強める体制に移行し ておくことは意味のある一歩であろう。
菅首相はG8サミットに際して「二〇二〇年代の早い段階で電源供給の二割を再生可能エネルギーで」という数値目標に言及した。ただしこの数 字は中途半端な目標値である。昨年のエネルギー基本計画でも「二〇三〇年に再生可能で二割」という目標を掲げており、それを一〇年前倒しした程度である。 無論、現在約九%にすぎないことを考えるとこの目標達成さえ容易ではないが、日本のエネルギー体系を変えざるをえない状況に直面していることを考えるなら ば、ドイツの目標並みの三割以上にする決意が必要であろう。 私は一九七〇年代のエモリー・ロビンスの「ソフト・エネルギー・パス」の頃から再生可能エネルギーの探求し、オバマの「グリーン・ニューディール」につい ては共著(NHK出版、二〇〇九年)を出した。「小型分散にすぎない」と軽視されてきた再生可能エネルギーも情報ネットワーク技術革命を背景にして「ス マート・グリッド(次世代双方向送電網)」による体系的運用が可能になりつつあり、過渡的なコスト高を乗り超えれば地平が拓けると思う。化石燃料の効率的 利用、省エネルギー技術の進化を含め、原子力比重の低減を視界に入れた新たな「ベストミックス戦略」が構想されねばならない。
関東大震災直後『東洋経済』一九二三年一〇月一日号の社説に石橋湛山は「此の経験を科学化せよ」と題する論稿を寄せている。想像を絶する被 災を前にして、恐怖と不安に駆りたてられた情緒的議論が勢いを得る中で、石橋は理性的政策論をもって事態と向き合おうとしていた。理性と技術こそが希望と いう意味において、私もこの視座を共有したい。