2009年10月3日土曜日

人間を幸福にしない日本というシステム カレル・ヴァン・ウォルフレン著

 「この人生はどこかおかしい」と多くの日本人が感じている。それはなぜか?居心地の悪さを感じている人の数は、実際、驚くほど多い。そしてこの不満は、あらゆる世代、階層にまで広がっている。その不満の原因は、人間誰しもがしょいこむ個人的問題や家族にまつわる厄介事だけではない。周囲の社会の現実(リアリティ)も、何かモヤモヤとした不満の原因になっている。 
 日本の変革を構想するにあたって、いくつかの概念(コンセプト)を学ぶことが、大いにあなたの役に立つ。たぶん、あなたはそれらの概念をすでに聞いたことがあるだろう。しかし、これまでは、周りの社会や政治の現実を考えるとき、これらの概念をあまり活用してこなかったはずだ。その一つが「市民の立場」(シチズンシップ)という概念だ。市民とは政治的な主体だ。市民とは、身の回りの世界がどう組織されているかに自分たちの生活がかかっている、と、折に触れ、自らに言い聞かせる人間だ。私は、市民としてのあなたに向けて、この本を書いている。たとえ国籍が違っていても、私たちは市民として対等である。市民は常に、社会における自分たちの運命について、もっと理解を深めようと努める。市民は、時に不正に対して憤り、自分で何とかしたいと思い立って、社会問題に自ら深く関わっていく。消極性は市民の立場(シチズンシップ)の死を意味するのだ。そして我々がもっと活用すべきもう一つの概念(コンセプト)を紹介する。「いつわりのリアリティ」(false reality)という概念である。これは物事を解釈しようとするときにはいつでも生じうる単なる誤解のことではない。うっかり誤解したのであれば、すぐにでも正しい解釈に変えることが出来る。私が言う「いつわりのリアリティ」にはもっとずっと根が深くて気付きにくい性質がある。それは、事態の誤った説明が続く限り存在し続ける「現実」なのだ。偽りのリアリティは、大多数の人に、たいへんもっともらしく見える。一見つじつまが合っていると思わせるからだ。独裁国家や全体主義国家は、常日頃から一連の思想を入念に創作し、それが同時に、偽りのリアリティを形作っている。
知は力なり これは多くの文化圏で理解されている。もしあなたがものごとの仕組みを知っており、今何が起きているかも知っていれば、他人への依存からあなたをより自由にするこの真理を、すぐにでも行動で実証できる。逆もまた真なり。つまり、無知は無力なり。もしあなたの周りの世界がどんな仕組みで動いているか知らなければ、あなたはそれだけ犠牲者にされやすい。明らかに、正確な情報を多く持っている人は、対人関係で格段に有利になる。もうひとつはっきりしていることがある。知識の少ない個人は、社会的上位にある者から、より簡単にコントロールされやすい。事情によく通じていない下っ端ほど、上司から無理難題を押し付けられ、こきつかわれる。無知な公衆ほど政府からよりたやすく操られたり、だまされたりするだろう。   一般の人々は相変わらず無知のまま保たれ、幻想だけがばらまかれているが、それは日本では秘密主義が、いまなお権力行使の重要な技法だからである。日本の官僚は支配階級に属している。そして彼らが権力を振るえる理由の一部は、普通の人の知らないことを知っているという事実に由来する。官僚たちは、知識人や編集者や他の高い地位にある人たちとのさまざまな同盟関係を組み、この支配階級という少数派の一部を形成している。この支配階級の人々は情報に精通している。隣人である普通の人が知らないことを知っている。彼らは、現実のタテマエ論的説明で満足する他ない大多数の日本人から、知識の量という点で分離されている。こうして、「知る物」と政治的に無知な者(イノセント)との古くからの分離が、いまなお続いている。普通の日本人は、官僚たちはクリーンである限り信用できる、彼らが選挙によって選ばれた政治家より権力があることの妥当性を問う必要はない、という意見に傾きがちだ。もし、読者もそう思っているとしたら、ここで私は大声を上げたい。なぜなら、いまこそ、あなたに目を覚ましてほしいからだ。日本の人がそんな呑気なことをいっていられるのは、社会の基本をまるでご存じないからに過ぎない。

ジャック・アタリ 危機の核心