2012年1月31日火曜日
TPPで我々の資産が危ない
2012年1月29日日曜日
小沢一郎 インタビュー
2012年1月28日土曜日
国民よ、納税者よ、いつまで騙されるつもりなのか
独法や特別会計の統廃合という言葉が飛び交っている。民主党が消費増税のために官僚 からの入れ知恵のままに、形だけの改革という言葉によるものを導入しようとしている。過去、土光臨調というものから始まり、行政改革という官僚機構の姿の 変更のための試みは何回もされている。その答えはどうなのか。現在の国の形が答えではないのか。その冷徹な事実を誰も見ようとしていない。全ての試みは失 敗したのだ。JRを含めた民営化など何の意味もない。基本的にこれらの官営企業は民営という名前のもとに依然として天下り先のまま何も変わっていない。む しろ監査というものも入らない官僚のための独占企業になっただけである。高速道路はどうなのか、NTTは、JTは、良く考えれば分かるだろう。な ぜ変わる事ができないのか。国民はもっと考えなくてはならない。今度の民主党がやろうとしている独法などの統廃合で何が変わるのか。実質的には何も変わら ない。公務員給与も議員歳費も削減という言葉の裏で何がなされているのか。それは2年間だけの時限的な削減とかいうまやかしである。天下り先の統廃合や特 別会計の種類の統廃合をして何が変わるのか、よーく考えないとすぐに騙される。問題は予算が減るかなのである。来年度予算でこれらの統廃合の結果減るもの はあるのかを追求すればすぐに分かる。一銭も、びた一文も変わっていない。こんな事を何十年も続けているのだ。もう国民もいい加減にこんな茶番に騙されて はならない。国家というもので一番大事なことは予算と法律なのである。
何度も書いているように、法治国家という制度のもとでは主権の存在 は誰が法律を作る者なのかで決まるのだ。その意味ではこの国は閣法制度というもので官僚という行政府の職員が全てを作っているのだから「主権在民」ではな く「主権在官」なのである。法律によって予算が決められるのであるから、税金を支払う側への配分は常に少なく、税金で生活する公務員や政治家だけに配分が 多くなされるのは当たり前である。なぜなら政治家と官僚が一体化して国民に対して行政に関するあらゆる情報は開示されずに、都合のいい数字だけがマスコミ を通じて流されているからだ。国家の基本となるあらゆる情報が官僚側にあったら、一体、正しい行政とは何なのかを国民は一切判断できない。我々国民はあま りにも過去からの成り行きで基本を無視し続けてきている。国家の経済が過去のような右肩上がりでなくなっている今、税金がどのように使われなければならな いかは、過去とは比べられないような重要な問題になっている。税金は支払う側に還元されるために存在する。それでなければ払う意味はない。本質を考えて国 民は行動しよう。
せめて来年度予算についてもっと声をあげよう。官の人件費や経費、天下り先経由の補助金政策の見直し、それらの全てに対 して大幅な予算カットを求めよう。組織の統廃合なぞ何の意味もない。全体のパイを国民の方に多くすることこそが大事なのだ。これ以上、税金を使う側の勝手 にさせてはならない。その意味では次の選挙ではどのような者を国会議員として選ぶべきかもよく考えよう。選挙は近い。
2012年1月27日金曜日
政府の検討するTPPの意義
・品目、分野によりプラス・マイナスはあるが、全体としてGDPは増加。
・「国を開く」という強い意志を示すメッセージ効果→日本に対する国際的な信用および関心の高まり。
・韓米FTAが発効すれば日本企業は米国市場で韓国企業より不利に。TPP参加により同等の競争条件を確保。(参考)日本がTPP、EUと中国とのEPAいずれも締結せず、韓国が米国・中国・EUとFTAを締結した場合、自動車、電気電子、機械産業の三業種について、2020年に日本産品が米国・中国・EUで市場シェアを失うことによる関連産業を含めた影響資産(経済産業省資産)
・TPPがアジア太平洋の新たな地域経済統合の枠組みとして発展していく可能性あり。また、TPPの下での貿易投資に関する先進的ルールが、今後、同地域の実質的モデルになる可能性あり。
・TPP交渉への参画を通じ、出来るだけわが国に有利なルールを作りつつ、アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)構想の推進に貢献。横浜におけるAPEC首脳会議の主要な成果。
・逆にTPPに参加しなければ、日本抜きでアジア太平洋の実質的な貿易・投資のルール作りが進む可能性。
■TPPにおける交渉分野は、我が国のEPAと同様、市場アクセス分野のみならず、幅広い分野。
■我が国のEPAで独立した章を設けていない、「環境」、「労働」などの新規の分野も含まれる見込み。
■WTOドーハ・ラウンドを先取りし、日本企業の貿易・投資活動に有利なルールの策定に貢献しうる。(予測される分野)物品貿易(関税撤廃の例外を認める範囲、関税撤廃の経過期間等を含む)、原産地規則、貿易円滑化、動植物検疫、貿易救済措置、政府調達、知的財産権、競争政策、投資、サービス貿易、環境、労働、紛争解決等。
・アジア太平洋の地域経済統合枠組み作りを日米が主導する政治的意義大。対中戦略上も対EU関係でも重要。
・アジア太平洋地域の貿易・投資分野のルール作りにおいて主導的役割を果たすことにより、国際的な貿易・投資分野の交渉や、ルール作りにおける影響力を高め、交渉力の強化に貢献。
2012年1月18日水曜日
国際原子力機関(こくさいげんしりょくきかん、英: International Atomic Energy Agency、略称:IAEA)
国際原子力機関(こくさいげんしりょくきかん、英: International Atomic Energy Agency、略称:IAEA)は、国際連合傘下の自治機関[2]であり、原子力の平和利用を促進し、軍事転用されないための保障措置の実施をする国際機関である。2005年度のノーベル平和賞を、当時の事務局長モハメド・エルバラダイとともに受賞した。
本部はオーストリアのウィーンにある。またトロントと東京の2ヶ所に地域事務所と、ニューヨークとジュネーヴに連絡室がある。
創立の背景 [編集]
- 1942年 アメリカ合衆国は1942年、エンリコ・フェルミらによって実験炉による核分裂連鎖反応に成功した。
- 1945年 アメリカ合衆国が広島、長崎に原子爆弾を投下して約10万6000人を殺害、約11万人に負傷させた。
- 1948年 アメリカが太平洋で核実験を行った。
- 1949年 ソビエト連邦が核開発能力を備え、以後アメリカはより強力な水素爆弾の開発を進める。
- 1952年 アメリカ合衆国が水素爆弾の最初の爆発実験に成功した。
- 核兵器の大型化が進んだが、大陸間弾道ミサイルではなく航空機による爆撃を想定していたため、大型化は核兵器の輸送を困難にした。このため、アメリカ合衆国は西側諸国への核兵器配備を進める必要があった。
- 1953年12月8日、アメリカ合衆国大統領ドワイト・D・アイゼンハワーによる国際連合総会演説「平和のための核」(Atoms for Peace)。「アメリカ合衆国が追求するのは、単なる、軍事目的での核の削減や廃絶にとどまらない。この兵器を兵士の手から取り上げるだけでは十分でな い。軍事の覆いをはぎとり、平和の技術に適合させるための方法を知る人々の手に渡されなければならない。」と主張した。この中で同盟・友好国に対する 100キログラムの濃縮ウラン供与と、機関創設を提唱。真の目的はソビエト連邦やイギリスに先行された核体制の主導権奪還だった。
- 1954年 第五福竜丸事件を受け、アメリカ合衆国がさらなる核開発を進めていること、とくに表面的には核削減や廃絶を主張していたアメリカ合衆国が水素爆弾の実験を行っていることが明るみになると、国際的に反核運動が高まった。特にアメリカ合衆国が冷戦における地理的にも重要な国と位置づけていた日本での反核運動は、日本の共産化を危惧するアメリカ合衆国と、反米思想に傾倒させたいソビエト連邦双方によるプロパガンダ合戦に利用された。
- このような背景のもと、同年、ソビエト連邦がオブニンスク発電所の運転を開始した。西側諸国、東側諸国それぞれの中で、国同士の原子力協定の締結の動きが進み、1954年7月には国連において原子力に関する国際会議、第一回ジュネーブ会議が開催された。
- 同時期に西側諸国では、イギリス、カナダ、フランス、ノルウェー、日本などで運転が開始されたが、西側諸国の中で最初に商用原子力発電所となった のはイギリスのコールダーホール一号炉を待たなければならなかった。当時、原子力発電所は経済的コストが高く、政府の支援なしでは建設運転することが困難 であったが、東西冷戦の中、核開発、核配備を行うことは特に重要であり、米国の同盟国への原子力技術の移転は積極的に行われた。
- 1957年 国際原子力機関、米国主導で設立。
沿革 [編集]
1953年、アメリカ合衆国大統領のドワイト・D・アイゼンハワーによる国際連合総会演説「平和のための核」を契機とし、1957年に創立された。
事務局長は、1981年から1997年までハンス・ブリックス、その後はモハメド・エルバラダイ。2009年12月より天野之弥が就任した。任期は4年。
2007年のパラオの加盟により、加盟国は144ヶ国となった。
構成 [編集]
主な組織としては以下の三つが存在する。
総会 [編集]
総会(英: General Conference)は全ての加盟国の代表者から成り、理事国の選出、新規加盟の承認、予算の承認などを行う。
理事会 [編集]
理事会(英: Board of Governors)は35ヶ国の理事国によって構成され、機関の任務遂行を行う。
- 指定理事国(designated members)
- 指定理事国は、前任の理事会が原子力に関する技術の最も進歩した13ヶ国を指定。日本は機関の創立当初から指定理事国である。
- 選出理事国(elected members)
- 地域選出20カ国、付加選出2カ国が総会から選出される。
- 地域選出
- 南アメリカ5カ国・西ヨーロッパ4カ国・東ヨーロッパ3カ国・アフリカ4カ国・中東アジア2カ国・東南アジア・オセアニア1カ国・極東1カ国の計20カ国
- 付加選出
- 以下の2カ国を選出
- アフリカ・中東アジア・東南アジア・オセアニアから持ち回りで1カ国
- 中東アジア・東南アジア・オセアニア・極東から持ち回りで1カ国
事務局 [編集]
事務局長は事務局の長であり、機関の代表として、総会の承認を得て理事会が任命する。事務局長以下に以下の6局がある。各局長は事務次長を兼ねる。
- 管理局 (Department of Management)
- 技術協力局 (Department of Technical Cooperation)
- 原子力局 (Department of Nuclear Energy)
- 原子力安全保安局 (Department of Nuclear Safety and Security)
- 原子核科学応用局 (Department of Nuclear Science and Applications)
- 保障措置局 (Department of Safeguards)
加盟国 [編集]
- 指定理事国
- その他加盟国
歴代事務局長 [編集]
代 | 国籍 | 氏名 | 在任期間 |
---|---|---|---|
1 | アメリカ合衆国 | スターリング・コール | 1957 - 1961 |
2 | スウェーデン | シグバルド・エクルンド | 1961 - 1981 |
3 | スウェーデン | ハンス・ブリックス | 1981 - 1997 |
4 | エジプト | モハメド・エルバラダイ | 1997 - 2009 |
5 | 日本 | 天野之弥 | 2009 - |
動向 [編集]
2003年11月の定例理事会では、イランの核開発問題が取り上げられ、イギリス・フランス・ドイツ・日本が共同提案した非難決議案を全会一致で採択した。アメリカの主張する国際連合安全保障理事会への付託は見送られた。
創立以来、当機関の査察を拒否したと明確に当機関から認定されている国はイラク、イラン、朝鮮民主主義人民共和国の3カ国である[要出典]。
なお一部のWebサイトにおいて、日本が2007年に発生した新潟県中越沖地震に際して柏崎刈羽原子力発電所についての「査察」を一時拒否したとする主張がなされているが、IAEAの公式文書等にはその旨の記述は存在していない。
当時の日本政府が一時受入れ見送りを表明したのは地震の影響等に関する技術的な「調査」であって(その後、新潟県知事らの要求を受けて受入れに方針転換し、実際に調査が行われた)、当該「調査」は、核拡散防止条約に密接に関連するIAEA憲章等 が定める「保障措置」に基づいて行われる核物質の軍事転用の可能性の有無等につき確認を行う「査察」とは明確に区別されているものである。上記の主張は、 この「調査」と「査察」とを混同、誤解した可能性が高いものであり、評価には慎重さを要する。なお、イラク・イラン・北朝鮮の3カ国は保障措置に基づく 「査察」を拒否している。
脚注 [編集]
参考文献 [編集]
- Global power knowledge: science and technology in international affairs, John Krige, Kai-Henrik Barth, John Krige, Kai-Henrik Barth
- Encyclopedia of Cold War Politics (Facts on File Library of World History), Facts on File; illustrated edition版 ,ISBN:978-0816035748
- 『CIAと戦後日本』平凡社新書、2010年
- 『原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史』 新潮新書、2008年
- 現代史スクープドキュメント NHK 1994年放送, http://video.google.com/videoplay?docid=-584388328765617134&hl=ja#
関連項目 [編集]
ポータル 原子力 |
外部リンク [編集]
ウィクショナリーにIAEAの項目があります。 |
国際原子力機関 International Atomic Energy Agency (IAEA) | |
---|---|
IAEAの旗 IAEA本部 (オーストリア ウィーン) | |
団体種類 | 国際機関 |
設立 | 1957年 |
所在地 | オーストリア ウィーン Wagramer Strasse 5, A-1400 Vienna, Austria |
主要人物 | 天野之弥(事務局長) |
活動内容 | 原子力技術の平和利用の促進、軍事転用の監視・防止 |
ウェブサイト | http://www.iaea.org/ |
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A Short History of the IAEA
"The IAEA was created in 1957 in response to the deep fears and expectations resulting from the discovery of nuclear energy. Its fortunes are uniquely geared to this controversial technology that can be used either as a weapon or as a practical and useful tool.
The Agency's genesis was US President Eisenhower's Atoms for Peace address to the General Assembly of the United Nations on 8 December 1953. These ideas helped to shape the IAEA Statute, which 81 nations unanimously approved in October 1956. The Statute outlines the three pillars of the Agency's work - nuclear verification and security, safety and technology transfer." (Excepts from the book, IAEA: The First Forty Years by David Fischer) Read More → [pdf]
IAEA General Conference
The Annual IAEA General Conference
The 55th Annual Regular Session of the IAEA General Conference is set for 19-23 September 2011 at the Vienna International Centre (VIC) in Vienna, Austria, where high-ranking officials and representatives from IAEA Member States will consider a range of issues. More details about the agenda and sessions will become available over the coming weeks.
For further information on the IAEA General Conferences, past and forthcoming, please see the General Conference Archives.
Scientific Forum at the General Conference
A Scientific Forum will be convened in conjunction with the 55th General Conference - entitled Water Matters: Making a Difference with Nuclear Techniques - at the Vienna International Centre (VIC) in Vienna, the site of the General Conference. More »
Last year, at the 54th General Conference, the theme of the scientific forum was on Cancer in Developing Countries: Facing the Challenge. Read more →
Exhibitions
Member States and accredited organizations wishing to take part in the exhibition - usually set up as a side event to the General Conference - were kindly invited to submit their space requests in advance. For the 55th General Conference, the deadline for submission was 15 June 2011.
Relevant information and specifications shall be made available to the prospective exhibitors in due course. It should be noted that specific stands may not be automatically reserved every year by one Member State, but will be assigned by Conference Services on a rotational basis. For any additional information, please contact the IAEA Conference Services Section.
Registration
Only designated representatives from IAEA Member States and invited non-member States and organizations may register for the IAEA General Conference. View Registration Form.
いま原子力をどう位置付けるのか—より国家が責任を持つ体制を求めて
日本人は「核」と「原子力」を巧みに分けて考えてきた。英語でいえばNUCLEARなのだが、軍事における核(原子爆弾)と民生利用の原子力を分け ることで、被爆国の心理的抵抗を和らげようとしたのであろう。しかし本質的には核兵器と原子力発電は表裏一体であり、核(NUCLEAR)なのである。作 家村上春樹は、六月一〇日にバルセロナでのスピーチで3・11の悲劇に触れ、「福島の原発事故は、私たち日本人が歴史上体験する二度目の大きな核の被害で す」と述べ、「私たち日本人は核に『ノー』を叫び続けるべきだった」とし、「『効率』という安易な基準に流され、大事な道筋を見失ってしまった」と語っ た。注目すべきは、村上は軍事における核も原子力発電も「核」の裏表であることを鋭く認識し、この総体を全否定し、この魔物のような技術から距離をとるべ きだと主張していることである。
福島の現実を直視すれば、このスピーチは心に響くもので決して「非現実的な夢想家」とは思わない。確かに日本には、一九六〇年代敗戦からの 復興・成長の流れの中で、国を支えるエネルギー源に関し、被爆国として核(原子力発電)を拒否するという選択はあった。だが日本はそうしなかった。そし て、一九六六年にわずか一〇〇〇ドルだった一人当たりGDPを三五倍にし、人口を二八〇〇万人増やし、大衆消費社会を作った。原子力発電だけが豊かさを実 現したわけではないが、微妙に絡み合い相関していることも否定できない。今日、時代の空気は「反原発・脱原発」で、「再生可能エネルギーの重要性」を語れ ば拍手が起こるが話はそう簡単ではない。立ち止まり、戻るためにも思考のプロセスが必要なのだ。核というパンドラの箱を開いてしまった者には責任がある。
日本には五四基の原子力発電の原子炉が存在し、その発電総出力は四八八五万kWとなる。しかし、今回の震災を受けて止まっている福島、女川 をはじめ、政府の停止要請を受けて止まった浜岡や定期点検中のものもあり、現実に稼働しているものは一七基一五四九万kWにすぎない。原子力発電所は一 三ヵ月で定期点検に入るが、点検のため停止させた原子力発電所を再開するのも、現下の空気では地元の同意を得ることは容易ではなく、現実的には、長期にわ たり原発の総出力を三〇〇〇万kW台に戻すことは困難であろう。
菅首相就任直後の昨年六月、民主党政権は「エネルギー基本計画」を発表した。注目されたのは原子力の位置づけで、一昨年の政権交代におい て、「原子力発電には反対」を掲げる社民党を連立パートナーとしたため、これが懸案事項だった。結論は、驚くほどの「原子力重視」の、二〇三〇年の目標と して「電源供給の五割を原子力で」という数字になった。自民党中心の前政権でも原子力の比重は「電源供給の三割から四割」であったから、思い切って原子力 に舵を切ったことになる。理由は明確で、「エコロジーのための原子力」、つまり環境政策において「二〇二〇年までにCO2の排出量を九〇年比二五%削減す る」という目標を掲げたため、「CO2排出が少ない」という原子力に比重を置かざるをえなくなったのである。しかしながら福島の事態を受けて、「原子力で 電源供給の五割を目指す」などという目標は霧消したといえよう。新増設一四基どころか、既存原発の定期点検後の稼働も困難となると、最大限で「二〇三〇年 に電源供給の二割」というのが現実的目標値であろう。つまり、原子力は主力ではなく副次的・過渡的電源と位置づけざるをえないのが現実である。
それでも、「日本における原子力の平和利用技術基盤の蓄積は大事である」という論点に私はこだわりたい。本連載の五月号でもこのことに若干 言及したが、「原子力からの脱出」を特集テーマに掲げる本誌読者に、たとえ「脱原子」を目指すにせよ、基本認識とすべき日本にとっての原子力のもう一つの 論点を語っておきたい。
日本の国際責任―――原子力技術基盤を蓄積することの意義
原子力発電を推進してきた先進国において日本はユニークな立場にある。たとえば、「国連の五大国」とされる米、英、仏、露、中は、軍事としての核と 民生としての核を両輪のごとく展開している。これに対し日本は、「非核」という言葉で軍事としての核保有を断ち、平和利用としての原子力にのみ特化してき た例外的な存在である。たとえば、米国はスリーマイル島の事故以来三〇年、原発の増設にライセンスも出してこなかった。我々の常識では「そんな国がよく原 子力の技術基盤を維持できるな」と素朴な疑問を抱きがちだが、軍事分野で原子力の技術基盤を維持できるのである。原子力空母一〇隻は三〇万kW級原発を二 基搭載しており、原子力潜水艦七二隻は五万kW級の小型原発を一基搭載して動かしている。元々軍事目的で開発した「核」を民生転換したのが原子力発電だっ たわけで当然なのだが、日本の場合は、あくまで民生利用だけに特化して原子力の技術基盤の保持に向き合ってきた。
IAEAで、「世界の核査察予算の三割は日本で使っている」という話を聞かされ驚いた記憶がある。確かに、六カ所村の核燃料サイクルの現場 にはIAEAの専門家が三人常駐し、日本中の原子力発電所には「ブルーシール」が張られ、日本人が触れてはならない監視カメラが二四時間作動している。世 界は日本の核武装を疑っているのであり、万一日本が「北朝鮮が核保有するなら日本も」などという方向に向かえば、現在イランや北朝鮮に向けられている世界 の厳しい目線にさらされて孤立の道に迷い込みかねない。現在、日本は軍事としての核を保有していない国で唯一「核燃料サイクル」を国際社会で許容されてい る国である。「核廃絶」を目指す国際的核管理や原子力の平和利用における国際的制御のための中核国際機関としてのIAEAにおける日本の責任は重い。
視点を変えて、アジアをみれば、中国は原子力発電所を既に一三基一〇八〇万kW保有し、二〇三〇年には八〇基八〇〇〇万kWにする計画であ る。韓国も二四基、台湾も六基の原発保有国になろうとしている。福島の事態で見直しも予想されるが、近隣に原子力発電所が林立する可能性は否定できない。 福島が世界を緊張させているのは、海洋汚染を含め日本の国内で完結しないからである。万一、近隣で原発の事故が起これば、それは日本にも波及する問題とな る。その時、原子力の専門家や技術基盤が蓄積されていなければ、日本の役割は極めて低い。国際エネルギー戦略の世界で技術基盤も専門家も無い国が発言力を 持つことなど期待もできない。原子力の平和利用技術、とりわけ安全性に関わる技術は、日本にこそ蓄積されている形としたい。現実に核保有によって恫喝した り、「抑止力」だとする国が存在する世界で、日本が「核の廃絶」や「原子力の安全な平和利用」の国際的議論を主導しようにも、「核を軍事として保有しうる 技術基盤はあるが、決して作らない」という基軸がなければ、夢見る乙女のシュプレヒコールにすぎないのが、国際世界の現実なのである。
「開かれた原子力体制」から新たな「ベストミックス」へ
日本の立ち位置を熟慮して、原子力を一定の比重で維持するにせよ、現在の体制のままで進むことは問題である。原子力だけは極端なリスクを潜在させる エネルギー源であり、福島の教訓を整理して、より国家が責任をもって管理する体制に変えるべきであろう。具体的には、現在は九つの電力会社と日本原子力発 電、Jパワー(電源開発)にいう一一の会社で原子力発電事業を推進する国策民営体制をとっているが、原子力だけは電力事業者から分離統合し、一つの国営企 業によって管理運営する体制(国策統合会社)を志向すべきである。
主な理由は三点ある。一つは原子力技術者・専門家の分散という問題である。現在、原子力工学の卒業者が三・五万人、うち電力事業者に約九千 人が働いているが、それらを統括管理できる体制にはなっていない。とくに福島のように「多重防御」が破綻した緊急事態に対応する専門家による戦略体制を個 別電力事業者に期待することには限界がある。二つは個別の電力事業者では「自社内の効率性と経済性追求」という壁を乗り越えられないことである。たとえ ば、「廃炉」の判断にも安全投資にも経営とのバランスが優先されてしまう。三つは経営リスク限界を超えた賠償責任、福島の賠償スキーム議論を考えても、一 〇兆円を超す無限賠償責任が数十年に亘って発生する可能性を抱えた事業を、公開上場企業で抱えることができない。
日本も原子力安全委員会と経産省管下の保安院とを統合し、米国のNRC(原子力規制委員会)のようなものを作って規制を強化し民間会社体制 でやればいいと考える人も多いが、ペンタゴン(国防総省)が参画主導して、軍事と民生を一体化させた核管理を進める意思を内在させているNRCと日本の原 子力規制の行政体制は本質的に違う。日本はむしろフランス型の「EDF-AREVA体制」(国営による燃料確保・原子力発電・再処理などサイクル全般の統 合管理)を目指すべきであろう。
平和利用に徹している国だからこそ、国が責任をもって管理する体制で原子力と向き合うべきなのだ。ただし、国策統合会社などを作れば非効率 な「親方日の丸」の会社ができるだけとの批判には耳を傾ける必要がある。そこでIAEAとの信頼関係をベースに思い切り「開かれた原子力」という体制の確 立を主張しておきたい。経営陣が日本人だけである必要はない。また平和利用に徹して原子力発電を求める新興国の出資を招いてもよい。アジア広域の核燃料サ イクル(再処理)を共同で運営する体制を目指すことも検討されるべきだ。福島の苦渋の体験さえも的確に伝え共有する「開かれた原子力」を目指さなければ、 「原子力発電のシステム輸出」など期待すべくもない。もし将来、日本国民の合意が熟慮の決断で「脱原発」に向かうにしても、国家管理を強める体制に移行し ておくことは意味のある一歩であろう。
菅首相はG8サミットに際して「二〇二〇年代の早い段階で電源供給の二割を再生可能エネルギーで」という数値目標に言及した。ただしこの数 字は中途半端な目標値である。昨年のエネルギー基本計画でも「二〇三〇年に再生可能で二割」という目標を掲げており、それを一〇年前倒しした程度である。 無論、現在約九%にすぎないことを考えるとこの目標達成さえ容易ではないが、日本のエネルギー体系を変えざるをえない状況に直面していることを考えるなら ば、ドイツの目標並みの三割以上にする決意が必要であろう。 私は一九七〇年代のエモリー・ロビンスの「ソフト・エネルギー・パス」の頃から再生可能エネルギーの探求し、オバマの「グリーン・ニューディール」につい ては共著(NHK出版、二〇〇九年)を出した。「小型分散にすぎない」と軽視されてきた再生可能エネルギーも情報ネットワーク技術革命を背景にして「ス マート・グリッド(次世代双方向送電網)」による体系的運用が可能になりつつあり、過渡的なコスト高を乗り超えれば地平が拓けると思う。化石燃料の効率的 利用、省エネルギー技術の進化を含め、原子力比重の低減を視界に入れた新たな「ベストミックス戦略」が構想されねばならない。
関東大震災直後『東洋経済』一九二三年一〇月一日号の社説に石橋湛山は「此の経験を科学化せよ」と題する論稿を寄せている。想像を絶する被 災を前にして、恐怖と不安に駆りたてられた情緒的議論が勢いを得る中で、石橋は理性的政策論をもって事態と向き合おうとしていた。理性と技術こそが希望と いう意味において、私もこの視座を共有したい。
9・11から10年—迫る日本外交の転換点
ニューヨーク、ワシントンを襲ったあの同時テロの衝撃から一〇年が経った。ブッシュ大統領は衝撃の中で「これは犯罪ではなく戦争だ」と叫び、アフガ ニスタン、そしてイラクへと「戦争」というカードを切り、突入した。「報復戦争」という文脈では、本年五月一日にテロの首謀者とされたウサマ・ビンラディ ンをパキスタンで殺害し、一つの区切りをつけたかに見える。
だが、結局はこの9・11という事件が、「アメリカの世紀」といわれた二〇世紀の終わりを象徴するものであったという思いを込めて総括して おきたい。そして、自分自身が国際関係に関わる論者として、この一〇年間発言してきたことも含めて、二一世紀初頭の世界を再確認しておきたい。
二つの数字を見つめて
ため息をつきながら二つの数字を見つめている。石油価格と円ドルレートである。二〇〇一年九月一〇日、あの9・11の前日、石油価格(WTI)は バーレル二七・六ドルであり、円ドルレートは一三四・九円であった。現在、WTIは若干下がったとはいえ八五ドル前後であり、円ドルレートは七七円前後に なっている。つまり、この一〇年間は「石油が三倍になり、ドルの価値が円に対して四割以上も下落した一〇年」だったというわけである。
「イラク戦争は石油のための戦争だ」と解説していた論者もいたが、あまりに単純な見方であるにせよ、「バグダッド陥落」などを「産油国イラ クを抑えることはアメリカの国益」とする潜在意識が米国民の中に存在したことも事実であった。ところが、一〇年たって突きつけられている「三倍にもなった 石油代金と惨めなまでのドルの下落」という現実をどう整理すればよいのか、米国民の失望と苛立ちは想像に難くない。
この一〇年の米国の消耗はあまりにも悲惨である。二〇一一年八月一六日現在、アフガニスタンとイラクで六一五三人の米国の兵士が死んだ。こ の数は、9・11での犠牲者数二九八二人(WTCでの死者二七四九人にペンタゴンでの死者などを加え)の倍を上回るものとなった。無論、米国人の死者だけ ではない。9・11後のアフガン攻撃、イラク戦争によるイラクとアフガンにおける戦闘・テロによる死者は、どんなに少ない推計でも二〇万人を超す。
若者を死なせただけではない。米国は累積一・三兆ドルという戦費をイラク・アフガニスタンで費やした。ノーベル賞受賞経済学者J・E・ス ティグリッツが予言していた「三兆ドルの戦争」は現実のものとなった。これから撤退までにかかるコスト、さらには負傷して帰還した兵士のケアや処遇などを 考えると、途方もないコスト負担を抱え込んだといえる。正に消耗の果てに、米国はイラク・アフガニスタンを去ろうとしているのである。
テロとの戦争の代償
六月二二日、オバマ大統領は「二〇一四年までのアフガニスタンからの完全撤退」を明らかにする演説を行った。「米国は自国の国造りに集中すべき時 だ」というオバマの言葉は現在の米国を象徴する表現といえよう。世界の警察官のごとく「テロとの戦い」を掲げて進軍した結末は、あまりにも大きな代償を米 国に迫っている。
八月二日に米国が債務不履行になるのではとして注目されたが、直前のオバマ大統領と議会との合意で「債務上限を、現在の一四・三兆ドルから 二・一兆ドル引き上げる」ことによって最悪の事態は回避された。だが「二・一兆ドルの財政赤字削減を実行する」という条件付であり、超党派の特別委員会 が、一一月までに具体的削減策を提示するというのである。
米国の財政赤字の増大は、二〇〇八年のリーマンショックを受けた景気対策としての「財政出動」で加速されたとはいえ、重くのしかかっている のは軍事支出である。クリントン政権最後の年であった二〇〇〇年度の軍事予算は、冷戦の終焉を受けて二九四五億ドルにまで圧縮されていた。「平和の配当」 といわれ「軍民転換」が時代潮流となっていた。
ところが、9・11を経て、「テロとの戦い」を掲げるブッシュ政権は軍事予算を増加させ続けた。アフガニスタン、イラクへと戦線が拡大する につれ軍事予算も増大、ついに二〇一〇年度には七二八〇億ドルにまで肥大化した。オバマ大統領はこの軍事費を「今後五年間で一兆ドル削減する」方針を昨年 から語りはじめ、議会も外交・軍事委員会の動きをみる限り、より徹底した「粛軍」(軍事費の圧縮)を求めている。まさに「内向するアメリカ」に向かわざる をえない構造が明確になっている。
こうした状況を受けて、格付け会社のS&P(スタンダード・プア社)は米国債の格付けを引き下げ、そのことがさらなる「ドル安・株 安」を誘発する事態となっている。もちろん、進行するドル安には米国の財政赤字や経済の先行き不安という要素もあるが、国際的に見れば「構造的なドル需要 の低下」という問題が重く横たわっている。例えば、産油国の石油決済通貨も次第にドル下落リスクを回避するために「通貨バスケット方式」に変わりつつある し、東南アジアの国々も拡大する中国との貿易決済に、「ドル下落リスクを避けるため」に強含みの人民元を選好する傾向が高まっている。これらはすべてがド ル需要の下落とドル安誘導をもたらすのである。この一〇年間の世界史のゲームを集約するならば、総じて、悲しいまでの「超大国米国のプレゼンスの低下」を 指摘せざるをえない。
「アラブの春」の本質
昨年一二月のチュニジアの「ジャスミン革命」に始まり、エジプトのムバラク政権を倒し、バーレンやオマーンなど湾岸産油国を揺さぶり、リビヤやシリアの専 制政権を追い詰めた一連の中東の激動を「民主化」などという単純な文脈で理解すべきではない。それぞれの背景があり、理由がある。たとえば、エジプトの政 変などは「民主革命」というより、軍部によるムバラク追放劇であり、背後にギリギリの秩序維持を図る米国の思惑が見て取れる。その意味で、決して中東は一 つではない。
ただし、この一連の中東における変動の基盤に「米国のプレゼンスの低下」という要因が横たわっていることは確かである。一九六八年に大英帝 国がスエズ運河の東側から引きさがったという事態が起こったが、それに匹敵するような構造変化が起こっているといえよう。それは、大英帝国に代わって中東 に覇権を確立してきた米国の中東からの後退によって、中東の秩序が融解し「覇権なき中東」に向かっているということである。
昨年一〇月号の本連載(「脳力のレッスン102、米主力部隊のイラク撤退―――『覇権なき中東』の除幕」)において、私は中東の基底に進行 するこの構造変化に言及した。それは昨年の八月、アブダビで行われた中東協力現地会議(窓口、(財)中東協力センター)に報告者の一人として参加して、中 東情勢の深層底流に進行する変化を予感したからであった。
まさにその八月、オバマ政権は「五万人の訓練部隊を残したイラクからの撤退」を開始した。米国の中東を束ねる力の後退が歴然としていた。加 えて、米国を震源地とするリーマンショックから二年、景気後退を懸念する米国、および先進各国はこぞって超金融緩和という政策を続け、だぶついた資金がエ ネルギー・資源市場に入り、価格の高騰を誘発していた。とくに、中東諸国の貧しい民衆層にとっては「食料価格の高騰」という形で生活を圧迫していた。「中 東民主化」の民衆運動に火が付いた要因は単純には決めつけられないが、多くの場合、食料価格の高騰や失業などの不満が反政府運動の下地になっていたことも 否定できない。
静かに透視すれば見えてくるが、中東の秩序の中核に、四〇年以上も岩盤のごとく存在してきた米国という重石が揺らぎ始めているのである。
イラク・アフガンからの後退だけではない。冷戦期から、「ホワイト・トライアングル」といわれ、米国の中東戦略の中核であった「イスラエ ル、エジプト、サウジアラビア」という三角が思うに任せぬ状況になっている。 米国のイラク進攻が、イランにアハマディネジャド政権という保守強硬派政権を成立(二〇〇五年六月)させ、それに対する反発という力学で、イスラエルには 中東和平路線を拒否する右派ネタニヤフ政権を発足(二〇〇九年二月)させてしまった。ブッシュ政権からオバマがバトンを受けた時には、中東は米国にとって 一段と制御困難な事態となっていた。
また、エジプトの混乱の中で盟友として「持ちつ持たれつの関係」にあったムバラク政権を見限ったことは、サウジアラビアの対米不信と猜疑心 を複雑なものにした。サウジアラビアこそ米国の中東政策における「ダブル・スタンダード(二重基準)」の象徴であり、「民主化なのか専制下の安定なのか」 という選択の中で、常に「親米であれば専制独裁も支持する」という矛盾が凝縮されている存在である。 思えば、9・11の実行犯とされる一九人のテロリストの内一五人は、サウジアラビアのパスポートで入国していた。ビンラディンもサウジアラビア人であっ た。なにやら、米国の中東への地域戦略における積年の矛盾が噴き出ている感がある。
さまざまな事情を引きずった「中東民主化」のうねりではあるが、基底に在るものは「米国の後退」である。ただ、その中で中東の人々の意識の 変化にも気づかざるをえない。大国の横暴に振り回されてきた、一九世紀以来の中東の歴史に終止符を打って、自らの運命を自ら切り拓こうとする「自立自尊」 の意思のようなものの芽生えを強く感じるのである。
自らの一〇年を振り返って
時代と並走する者として、「その時、どのように時代認識をとり発言していたか」は重要である。時代は尺取虫のように議論されるべきで、場当たり的な 無責任な議論を排していかねばならない。つまり、9・11後の一〇年を論ずるには、自分自身の議論をも含めた、厳しい検証という視座が求められる。
9・11という事件は、ちょうど冷戦が終わって一〇年という時点で発生した。つまり、ベルリンの壁が崩壊したのが一九八九年、ソ連という国が崩壊したのが一九九一年であり、「冷戦後」という時代が一〇年経ったところで発生したのである。
二〇〇一年十一月号の『中央公論』に、私は「世界の深層底流は何か」と題する寄稿をした。まさに9・11直後の論稿であり、実はこの原稿の大部分は、あの日の夕刻に成田に着いたパリからのANA便の中で書いたものであった。
私は直前の欧州体験で実感したブッシュ政権下の米国への懸念を「不吉な予感」と表現していた。「アメリカ・ファースト」を掲げて登場したブッシュ政権の自国利害中心主義に不安を感じたからである。
環境問題における京都議定者からの離脱、CTBT(包括的核実験禁止条約)の批准拒否、国連小型武器会議における取引規制反対など、世界の 問題についての利害調整をリーダーとして主導する意思を放棄するかのごとき姿勢が目立っていた。「冷戦の勝利者」となって一〇年、米国の利害だけを優先さ せ、米国流の資本主義の世界化を「グローバル化」として推進する驕りと緩みを感じ取ったのである。
不幸にして、その間隙を衝かれるごとく9・11が起こった。動転した米国は「戦争」というカードを選択してアフガン・イラクに進攻した。
二〇〇三年四月号の本誌に、私は「『不必要な戦争』を拒否する勇気と構想―――イラク攻撃に向かう『時代の空気』の中で」を寄稿し、イラク 攻撃に向かう米国の論理の危うさとして「米国にとっての正義を軍事力への過信で実現しよう」というブッシュ政権を動かす「ネオコン」(新保守主義)の論理 の問題点を批判し、日本の選択として、過剰にネオコンの論理に引き込まれることなく、不条理な戦争に距離を取るべきことを主張した。
不幸にして小泉政権下の日本は「対米協力」を本音とする「国際協力」という建前で、イラクにまで自衛隊を送るという選択をした。この選択が日本の中東外交の汚点となったことは、既に歴史が証明した。
世界史の本質的変化
我々は、目撃している世界史のゲームの本質的変化の意味を理解しなければならない。二一世紀初頭の一〇年の経過の中で、世界が確認したことは、イデ オロギーの対立とされた冷戦の半世紀を経て、「唯一の超大国となった米国の一極支配」と思われた世界秩序が、「多極化」どころか、「極構造」などという認 識を超えて、「無極化」とでもいうべき全員参加型秩序に向けて動いているということである。「ドル基軸体制の行き詰まり」などはその潮流の部分現象にすぎ ない。
さて、この全員参加型秩序のへの変化の中で、日米二国間同盟だけを唯一の基軸として戦後なる時代を生きてきた日本は、いつ新しい時代の問いかけに気づくのか、誤魔化すことのできない転換点が迫っている。大震災を受けた「極端な内向」から脱すべき時である。
2012年1月8日日曜日
資源が投機の対象にされてしまった 池上 彰
はウエスト・テキサス・インターミディエートの略で、西テキサス産の軽質油のこと。ニューヨーク・マーカンタイル取引所には、この「WTI原油先物」が上 場されていて、取引量と市場参加者が圧倒的に多く、流動性や透明性が高いために、ここで決まった値段が「世界の原油の指標価格」となっているのです。ドバ イ原油にしても、北海原油にしても、この値段より「少し安い値段」で取引されるのですね。中国などの新興国が石油をガブ飲みする勢いで使うようになったこ とも、原油価格が上がった要因ですが、たとえば中東情勢が緊迫化してくると「石油の輸入が止まるんじゃないか」という恐れから、「先に買い占めよう」とい う動きになります。WTI
g原油の先物価格の値段が跳ね上がります。それだけではありません。それに便乗して世界のヘッジファンドなどの多くの投資家が、「儲かる」と思えば原油先 物を買うのでさらに価格が上がります。先物の価格が上がると、それに引きずられる形で現物の価格も上昇します。つまり、「実需」ではなく、原油が「投機」 の対象にもなっているのです。実は近年の原油価格の高騰には、日本の「超低金利」も関係していました。日本は今もなお低金利ですが、世界各国の金利と比較 したとき、ちょっと前までは日本だけが異常に低い状態でした。つまり、世界のどこよりも「お金のレンタル料」が安かったわけです。それに目をつけたヘッジ ファンドなどが円を借り、それをほかの国の通貨に替えて、より儲かる他の通貨の資産に投資してしまいました。これを「円キャリートレード」といいます。日 本発の資金が、原油先物を買う投機資金としても使われたのです。ところが事情は一変しました。リーマン・ショック以降、世界が協調して金利を下げているた めに「低いのは日本だけ」ではなくなったのです。アメリカもゼロ金利政策を取るようになり、もう円を借りる‘うまみ’はなくなってしまいました。逆に、 FRBがアメリカの景気が良くなるまで「まだまだ低金利を続ける」といったものですから、今度は米ドルを借りて運用する「米ドル・キャリートレード」の動 きが出てきているのです。円は90円を割り込むような円高になっています。(2009年10月時点)。するとまた原油は投機の対象になります。原油価格が 上がれば、あらゆるものの値段が上がります。今、実需を考えた原油の「適正価格」は70米ドル程度といわれていますが、世界経済は再び投機マネーによって 翻弄されているのです。原油は後40年で枯渇するといいましたが、エネルギー問題の裏には、急激な「人口増加」の問題もあります。日本が聖徳太子の時代 (6世紀終わりごろ)、世界の人口はわずか3億人でした。しかし人間が少しずつ知恵を絞るようになり、文明が発達し、人口が増えるようになって、西暦 1600年ごろには世界の人口は4億~6億人になりました。そして、1800年ごろには10億人、1900年ごろには20億人になり、それが今や68億人 になっています。まさに倍々ゲームですね。国連は、50年には世界の人口は90億人に達すると予測しています。日本だけのことを考えると、「少子化が問 題」ということになりますが、世界全体で考えると「人口の急激な増加が問題」ということになるのです。
これは世界の資源争奪戦が始まることを予期しています。