2008年11月26日水曜日

強欲資本主義(神谷秀樹著)からの引用

   第5章 資産運用ゲーム より 

 「損益計算書」の仕組みをご存知だろうか。損益計算書は、「トップ・ライン」とも呼ばれる「売り上げ」から始まる。これはお客様に支払っていただいたお金だ。次は製品を生産するコストである「製造原価」で、仕入れ先に支払わなければいけない金額を表す。以下は、たくさんの経費項目が並ぶ。従業員に支払う賃金、銀行に支払う金利もこれらの項目にある。売り上げからこれらの諸経費を差し引いたものが、「税引き前利益」である。この利益から税金を支払うと、「ボトム・ライン」、すなわち株主に配当できる金額および役員報酬に充てる金額が出てくる。この損益計算書は、企業活動のあるべき姿を実によく現している。まずは「何よりもお客様(売り上げ)」である。ビジネスとは、お客様が存在して初めて成り立つものであることがよく分かる。お客様があってこそ、仕入先や従業員にきちんと支払いをすることができる。借金をしていれば金利を支払い、元本も返済しなければならない。これも当たり前のことだ。儲かっていれば税金を納める。これは社会における重要な義務だ。こうした「社会的責任」を十分に果たして、初めて配当と役員賞与に充当するお金が出てくる。しかしファンド・マネージャーは、そのようにはこれっぽっちも考えない。企業を評価する指標といえば、従来は売上高、経常利益が重視されていたが、近年では欧米流の会社は株主のもの、株主重視という考え方が広がっている。経営の教科書的に言えば、企業が将来どれだけのキャッシュフローを生み出すかを評価したものを「企業価値」といい、そこから負債を差し引いたものを「株主価値」という。従って「株主価値」の最大化を目指すことが優れた経営の目標であり、ファンド・マネージャーの興味もここにある。もっとも、歪んだ発想である。彼らに興味があるのは、「株主の利益」と「自分の収入」だけなのだ。会社は自分たちだけのものであり、自分たちの儲けを最大化するために「トップ・ライン」と「ボトム・ライン」の間にあるすべての支払い義務をいかに圧縮するかに熱心に取り組む。かれらにとっては、これが「株主価値」を高める行為なのだ。通常の人であれば、これは文字通り「本末転倒」と考えるのではないか。  一般企業にファンド資金が入ってくると、彼らが自由に操れる人物を経営陣に連れてくる。取締役会も彼らがコントロールする。この一連の人々が、「自分たち(ファンド)のためだけ」に働く。ファンド自身には経営力などまったくないので、ファンドと経営者となる人物は結託する。この連合体が「むしる人」、そしてその他すべてが「むしられる人」になる。ご承知のとおり、アメリカでは一般従業員とCEO(最高経営責任者)との報酬格差は拡がる一方で、強烈な格差社会になっている。1980年米国企業CEOの平均的年収は、労働者の42倍だったが、2005年には実に262倍に拡がった。かつては「ミリオネア」、すなはち100万ドルの報酬を手にすることが成功の証だった。しかし、人間の欲望は計り知れない。現在ウォール街で働く、野心的なバンカーやファンド・マネージャーが目標としているのは「ビリオネア」、すなはち10億ドルの資産を築くことだ。ゴールドマン・サックスが、1990年代後半から東京でゴルフ場などを買いまくってウォール・ストリート・ジャーナルの記事になって話題を呼んだ。一方に、アメリカでは健康保険にも入れない人が4000万人居る。必要な予防接種を受けることのできない子供たちもいる。これが最も発展した資本主義がもたらす姿というのならば、現代の資本主義は決して人間を幸福にするシステムではない。しかし、強欲に根ざした株主中心の考え方、そしてファンドの支配が進むことにより、世の中は間違いなくこの不公平な格差社会へと突き進んでいる。