2011年5月18日水曜日

行き場を失った石原批判票と「菜の花革命」の始まり(カトラー)

今回の東京都知事選では、初めて共産党候補に一票を投じた。

理由は単純で、脱原発を公約で掲げているのが、都知事の候補の中では共産党の小林候補だけだったからだ。渡邊美樹さんは、昔、仕事上の関係でお会い したことがあり、その頃から経営者としても人間としても優れた方と尊敬し応援もしていたのだが、石原慎太郎に対する差別化戦略を完全に間違え、明確な対抗 軸を打ち出すことが結果的にできなかった。
都政に経営マインドを持ち込むという主張は、平時であれば、それなりのメッセージ性を持ちえたと思う が、現在は異常事態の時期、すなわち乱世である。統一地方選挙そのものが、東日本大震災と福島原発問題によって完全にかき消され、背景に押しやられた中に あって、渡辺美樹氏の真面目な主張は、新鮮味を持ち得なかったばかりか、残念ながら現実に対してピントはずれになってしまった。

石原候補に対抗軸を打ち出せなかった渡邊、東国原

東国原候補についても事情は一緒だろう。世の中に平時の退屈感が蔓延しているなら、森田健作やら東国原のようなタレント候補を「退屈しのぎ」に選ん で見るという選択も有権者にはありえただろうが、千年に一度の天災に襲われ、放射能の雨が首都圏に降り注いでいるような3.11以降のような状況下では、 「退屈しのぎ」はありえない。
災害対策が争点になるという見方が新聞などの下馬評にあったが、それも見当違いだ。これからどんな災害がいつ起きる かもわからない中で、その対策の中味で差別化ができるはずがない。仮にこの問題について少しは気の利いたことが言えたとしても、現職が持ち合わせている情 報やリアリズムに対抗できるはずがない。

今回の選挙で石原慎太郎に対して勝てるメッセージが唯一あったとすれば、それは「脱原発」ではなかったかと考えている。
ここ数週間で、福島 原発に対する東電、原子力保安院の対応や、政府の情報公開の在り方をめぐって国民の批判は急速に高まっている。事故後1ヶ月が経過したにもかかわらず、依 然事態を収束させることができず、放射能汚染は、周辺地域ばかりでなく、首都圏に出荷される野菜、水道水、水産品などへと拡大し、ますます深刻化してい る。福島原発で発電される電力は全て東京都民が消費するものであるから、このことは実は都民ひとりひとりが問われるべき問題に他ならない。しかも、その東 京のための原発事故によって深刻な被害をもたらしているのは地元福島の人々である。この現実をどのように考え、それでもなお原発を選択するのかどうか、今 回の選挙の中でそのことを都民に対して問いかけ、争点にすることはできたはずだ。

都民の不安感を変化へと繋げることに失敗

脱原発を争点にすることは、東日本大震災に対する「天罰」発言と原発推進容認を表明する石原慎太郎候補に対して最大の対立軸とすることができたはずだが、何故か渡辺、東国原両候補とも尻込んでしまい、明確なメッセージを出せないままだった。
隣の神奈川県は無風選挙に近いといわれていたものの、黒岩候補は「脱原発」を公約に掲げることで、着実に得票をのばすことができた。一方、東京では、残念ながら、私も含め石原に対する批判票は行き場を失ってバラバラに分散してしまった。

選挙後、渡辺美樹氏は「都民は変化よりも安定を望んだ」とコメントしたが、そうではなくて、都民の間にある不安感を逆に「変化」へと繋げることがで きなかった選挙戦略のあきらかな失敗である。選挙ポスターの作りもひどかったことを見ると、渡邊氏の選挙陣営にはコミュニケーションの専門家が関与してい なかったのではないか。

話をもうひとつのテーマに移そう。
地方統一選挙と同日の昨日、全国で脱原発のデモが行われた。私は高円寺のデモに参加したのだが、このデモ を主導しているのが、高円寺でリサイクルショップや古着店などを展開し、活動の拠点を持っている「素人の乱」の人たちであり、5~6年程前からサウンドデ モという独特のスタイルで社会運動を行っている。

Kouenji_demo_2

5年前にこのグループと出会い、高円寺で行われたデモに参加したことがあるのだが、その時は「家賃をタダにしろ」「セックスのできる広い部屋にすま せろ」といったナンセンスな要求プラカードを掲げた酔狂な若者、フリーターたちによる運動だった。もう少し高尚にインテリ風に言うならカルチャー・ジャミ ングという手法により、固定化した社会システムをゲリラ的に攪乱させるパフォーマンスを意図したものだった。とことんナンセンスな要求を掲げてデモを組織 し、機動隊やら警備の警官らが見守る中、ロックやレゲエの音楽を大音響で流しながら街を練り歩き半ば占拠するという、デモというより非日常的なアートパ フォーマンスともいえる痛快なイベントだったが、今回の「デモ」にもそのアート精神はしっかりと受け継がれていた。

アートパフォーマンスのようなデモ行進

デモの参加者たちは、それぞれが思い思いのメッセージプラカードを掲げ行進し、中には脱原発のメッセージを込めたコスプレを身にまとって参加するパフォーマーも多数いて、さながらハロウィンのパレードのようでもあった。

秀逸だったのは、某都知事の遺影を掲げて黒の喪服姿で参加していた青年(写真)。4年前に参加したサウンドデモでは、たかだか数百人規模だったが、 今回は親子連れなど参加層も広がりが見られ、主催者発表で1万5千人が参加する大きな運動へと成長した。ただ、私の知人などで真面目モードで参加した人た ちは、このおふざけモードにはかなり違和感を感じたようだ。

デモ行進が始まってしばらくして、参加者に菜の花が配られた。菜の花やひまわりは、チェルノブイリなどで放射能汚染された土壌の浄化などに栽培され たことが知られていて、脱原発の象徴になっている。その黄色い菜の花を手にした人々の行進が、大音響の音楽とともに高円寺の街に延々と連なって続く。

「原発反対!」のシュプレヒコールを上げながら「菜の花革命」という言葉がふと脳裏に浮かんだ。

Nanohan_revolutiion

ドイツなどで25万人規模の反原発デモが行われていることに比べれば、ここ東京では、原発推進派の首長の再選を阻止することもできず、動員できたの も、たかだか1万5千人。東電や電事連、当局にとっては、痛くもかゆくも無いレベルの反対デモかもしれない。しかし、これまでの日本の「市民運動」の歴史 からすれば、何の組織も存在していない状況下、ツイッターやフェイスブックを介して、縁もゆかりもないこれだけの「素人」たちが自然発生的に集結し、乱を 引き起こしていることは、正に「革命」の名に値する。
4.10は、フクシマ以降の永きにわたる脱原発運動の起点になった記念日として人々に記憶され語り継がれていくことは間違いない。

菜の花革命、万歳!

(カトラー Twitter: @katoler_genron