米軍主力部隊のイラク撤退—『覇権なき中東』の序幕 寺島実郎
二〇一〇年八月、ついに米国はイラク駐留の主力部隊の撤退を開始した。五万人の訓練部隊は当面残るが、それも二〇一二年には全面撤退となる。〇三年 三月のイラク戦争開始から七年、憔悴の中で米国はイラクからの撤退を余儀なくされたということである。開戦から本年七月末までの米軍兵士のイラクでの死者 は四四〇五人となった。アフガニスタンでの米軍兵士の死者一一〇五人と合わせて、9・11後の展開で、五五〇九人もの米国の若者が犠牲になったということ である。この数は9・11におけるワールド・トレードセンター、ペンタゴンを含む犠牲者総数とされる二九八二人を大きく上回り、アフガン、イラクを合わせ た米軍の戦費の総額も二兆ドルに迫るものとなり、最終的には三兆ドルになるとの見方もある。「米国の正義を力で実現する」として突っ込んだテロとの闘いの 代価はあまりにも大きく、米国の苦悩は深い。
「覇権なき中東」への展望
これだけの犠牲を払ったイラク戦争がもたらしたものは何であろうか。それは皮肉にも「イランの強大化とその制御への苦闘」という構図である。一九六 八年に大英帝国がスエズ運河の東から後退した後、代わって湾岸に覇権を確立した米国は、イランのパーレビ体制を「湾岸の警察官」として支えた。だが、七九 年のホメイニ革命によってイランへの影響力を失った米国は、「敵の敵は味方」の論理で隣国イラクのサダム・フセインを支援しイラン・イラク戦争を戦わせた ものの、サダム・フセインの増長を招き、イラクのクウェート侵攻後の湾岸戦争、そして9・11後のイラク戦争とサダムを自らの手で葬り去るという皮肉な戦 いを余儀なくされたのである。
ところが、イラク戦争はイラクをシーア派主導のイラクへと追いやり、気がつけばペルシャ湾の北側に巨大なシーア派のゾーンを形成することに なった。つまり、シーア派イスラムの中核ともいえるイランの潜在的影響力を最大化する展開に帰結したのである。イラクという国は、人口的にはシーア派が多 数派を占め、北部のクルド族問題を抱えたモザイク国家であり、英国が人為的に線引きしたことによって成立した国である。「イラクの民主化」などといってサ ダム専制体制を倒したものの、「シーア派主導の制御不能の分裂国家」を生み出したのである。
米国がイランの核保有に恐怖心を深めイラン制裁に執着する理由も、強大化するイランを制御しないと、いつ米国を襲うかもしれない「イスラム 原理主義の核」の脅威にさらされるからである。だが、米国がイランの核武装を排除しようとするほど、宿命的に絡みつく「イスラエルの核」に対する米国のス タンスの矛盾、二重基準問題が炙り出される。つまりイスラエルの核は容認し、イランの核は否定する論理の矛盾である。
実は、米国とイスラエルの間には「一九六九年のニクソン・メイヤ秘密了解」が存在する。「イスラエルは核保有宣言せず、イスラエルにNPT 加入要求せず」というものである。つまり、イスラエルの核保有を容認してきた米国がどこまで本気でイスラエルを制御できるかが、イラン制裁を巡る注目点 だったのである。オバマ政権は、六月の国連安保理のイラン制裁決議(決議1929)に先立つ五月、国連NPT会議を主導し、「核なき世界」への一歩として NPT会議最終文書の採択に踏み込んだ。内容は「①『中東の非核化』に向けた会議の二〇一二年開催、②IAEA機能強化(未確認の核関連施設を抜き打ちで 査察できる『追加議定書』重視)」などであり、イスラエルを含む「NPTの普遍化」に真剣であることを示したもので、二重基準を解消して「中東の非核化」 を実現する意思を見せたといえる。
だが、話は単純ではない。強硬派のネタニヤフ政権を抑えることは容易ではない。国際政治の力学は微妙で、ブッシュ政権時の米国の「力こそ正 義」のネオコン路線が、反作用としてイランに保守派のアハマディネジャド政権を生み、さらに「力の論理が力の論理を誘発」する形で、イスラエルにも強硬派 政権を生んだ。イランとイスラエルの二つの強硬派政権に「協調と対話」路線のオバマが向き合う構図はあまりに皮肉である。
加えて、オバマ政権になってからの昨年十二月に七万人の増派を決めたアフガニスタンについても、とても秩序回復などといえる局面ではなく、 タリバンをはじめとする敵対勢力は二〇一一年からと明言された米軍の撤退を静かに待っているという状態であり、「出口戦略」を模索する米国の姿勢が見透か された形になっている。間違いなく、中東における米国のプレゼンスは崩れはじめている。つまり、大英帝国のペルシャ湾岸撤退と同じような構造変化が進行し ようとしているのである。ただし、大英帝国に代わって米国が湾岸における覇権を確立した一九七〇年代以降の展開と現下の情勢は全く違う。米国に代わって中 東に覇権を確立する国が登場するとも思えないからである。
情勢は複雑である。確かに、このところの中国の中東への強勢外交が注目される。本年五月には、「中東・アラブ協力フォーラム」の第四回閣僚 級会議を天津で開催、アラブ連盟加盟二二カ国との関係を深め、六月には湾岸産油国との「中国・GCC戦略対話」を北京で開催した。また、六万トン級の空母 建造など外洋海軍の拡充に力を入れ、ソマリア沖の海賊対策へのミサイル巡洋艦派遣などをインド洋への恒常的海軍展開への契機とするかのごとき動きを見せて いる。イランとの関係も緊密で、昨年も日量四八万バレルもの原油を輸入している。ただし、中国も国連のイラン追加制裁に賛成し今年に入ってイラン原油の輸 入を大幅に縮小させ始めており、中東諸国に対しても「中国の野心への警戒心」に配慮するような路線も見せ始めている。中国の覇権などといえる情勢ではな い。
また、ロシアの動きも微妙である。石油や原子力の分野でイランとの関係を保持しているロシアなのだが、中国とともに国連安保理のイラン追加 制裁に賛成し、このところイランとの関係を表面的には冷却させている。六月にタシケントで行われた上海協力機構の首脳会議では「国連制裁下にある国の加盟 を認めない」とする加盟規約を採択し、オブザーバー参加してきたイランの正式加盟を拒否する姿勢を示した。イラン制裁に執念をみせる米国に配慮した形であ る。何故、ロシアがイラン制裁に賛成したのか。あえていえば、二〇〇八年夏のグルジア侵攻・リーマンショック後二年間の教訓とでもいうべきであろう。ロシ アに対する世界の不信がロシアからの資本引上げを招き、ロシア経済が大きく落ち込むという事態を経験し、グローバル化した経済に身を置く中での孤立の怖さ をロシアも再認識したというべきであろう。
米国も影響力を維持するあらゆる戦略を模索するであろう。「米イラン国交回復」でさえある時期が来ればありえないことではない。「覇権交 代」や「覇権抗争」という視点では捉えきれないほど、様々な国や主体が複雑に中東に絡み合う構造に移行していくのであろう。ロシア、中国に加えインドやブ ラジルまでも中東でのゲームに参入しつつある。もちろん、英国、仏、独は歴史的関係を背景に深く中東と関っている。ただ、我々は中東諸国が基本的に「大国 の介入」を望まなくなっていることに気付かねばならない。イラク戦争後のイラクが見せた対応が象徴的である。敗戦国でありながらイラクは驚くほど自尊心に 満ちた姿勢で占領国米国と向き合った。米軍の長期駐留を拒否し、イラク駐留の米軍基地の地位協定において「近隣国への軍事行動のための使用を拒否する」な どの主張を貫いたのである。大国の利害に翻弄されてきた中東は、湾岸産油国を含めて強い自立自尊への志向を強めつつある。
新しい中東情勢と日本
八月九日・一〇日とアブダビで開かれた中東現地協力会議に、基調講演者の一人として参加した。これは石油危機を受けて興銀の中山素平氏や日本貿易会 の水上達三氏等が中東産油国と日本との交流のためにスタートさせたもので、(財)中東協力センター(奥田碩会長)を窓口に今年で三五回目となる。今年は日 本から官民合わせて三〇〇名を超す参加者が集まった。私にとってはイラク戦争開始直後の〇四年以来五度目の参加であり、中東地政学の構造変化についての報 告を行った。
強調したのは「米国の後退と覇権構造の終焉」という時代潮流の中で、日本は新たな中東との位置関係の再設計を余儀なくされるという点であっ た。米国の軍事的プレゼンスを前提に中東に関ってきた日本にとって、それは新たなる試練である。一九七三年の石油危機に際しての「中曽根油乞い外交」以 来、日本の中東政策は「石油モノカルチャー」とでもいうべき性格を帯びてきた。現在でも、日本は石油の九割、天然ガスの三割を中東に依存しており、それは 一次エネルギー供給の五割を中東に依存しているということである。
この数字がこれからの一〇年で大きく変わることになるであろう。ロシア要素である。サハリンプロジェクトとシベリアパイプラインの本格稼動 によって、石油の中東依存は六割台へ、一次エネルギーにおける中東依存は、石油比重の低下も加わり三割以下にまで低下すると予想される。つまり、中東にお ける「脱・米国」とエネルギーにおける「脱・石油」という事態に直面していかざるをえないのである。
それは日本にとっての中東の重要性が低くなることを意味しない。石油モノカルチャー的視界から脱皮した新しい中東との関係が問われるという ことである。私は日本の役割がより強く求められる局面だと考える。中東外交に関して、日本は他の先進国とは違う立ち位置を確保できる歴史を積み上げてい る。中東のいかなる国に武器輸出をしたこともなければ、軍事介入したこともない唯一の先進国である。 その意味でも、イラク戦争に関して自衛隊を派遣したことは悔やまれるのだが、「治安活動はしない」という枠組みで国際法上は正規の軍隊である自衛隊を派遣 するという奇妙な派遣であり、中東諸国にも奇異な印象を与えるが軍事的野心を示す性格のものとは受け止められていないのが救いである。
また、欧米諸国が「ユダヤ人問題」において歴史的な国内事情を抱え、パレスチナ紛争に中立的ではいられないのに対して、日本は紛争当事者の どちらかに肩入れしなければならない必然性はない。また、イラン問題に関しても、ホメイニ革命以降も外交関係を維持してきており、断交を続けてきた米国と は違う立場で関ることが可能である。原子力の平和利用を巡る国際ルール作りをリードし、非核保有国としてイランの核保有を諌め、孤立を深めるイランと国際 社会のパイプ役として一味違う役割を果しうるのである。
こうした「非政治性」という文脈も含め、中東諸国の日本への期待は極めて大きい。何よりも日本の技術力への評価である。例えば化石燃料から 原子力、再生可能エネルギーまで、エネルギー関連技術である。あまり知られていないが、(財)国際石油交流センター(JCCP)が中東産油国の石油関連技 術の研修のために日本に招いた研修生は一・九万人にもなり、産油国側の評価も高い。また、産油国も石油資源枯渇後の戦略を注視し始めており、原子力や太陽 光・太陽熱などのプロジェクトに真剣になりつつある。さらに、産業開発や生活の高度化に伴う水需要の増大に伴い海水淡水化など水プロジェクトの重要性が高 まり、日本の水関連技術への期待は大きい。覇権を求めぬ「非政治性」と技術力における日本の個性を認識し、中東諸国の日本との高等教育や医療分野での人的 交流を求める声も大きく真剣である。「覇権なき中東」に向かう大局観の中で、日本を際立たせる好機である。
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